43歳の若さで亡くなった写真家の星野道夫は、写真集や写真絵本だけでなく優れたエッセイの書き手でもありました。
1995年に出版された「旅をする木」は、旅を愛する人たちに今も読み継がれている傑作エッセイ集です。
1.アラスカの雄大な自然を描く
学生時代から探検好きだったという星野道夫は大学卒業後に写真家を志し、大自然に生きる動物たちやアラスカを中心とした土地に住む人々の暮らしを撮影してきました。
アラスカに移住した経験を持つほどこの土地を愛していた星野道夫は、木村伊兵衛賞を受賞した「Alaska 極北・生命の地図」に代表される写真集や「アラスカたんけん記」といった写真絵本を出版しています。
星野道夫の魅力を本で味わうにはこうした写真もいいですが、彼の人柄がにじみ出たエッセイは読書の楽しみを堪能できる点で写真集にも劣りません。
「旅をする木」は星野道夫の代表作というだけでなく、旅をテーマとしたあらゆる文学作品の中でも傑作の1つに数えられます。
アラスカの雄大な大自然とそこに生きる人々の生活風景を独特の静謐な筆致で描いた文章は、日常の喧騒を忘れさせてくれる効果を持ちます。
2.読者に語りかけた33編
「旅をする木」は1993年6月1日の日付で書かれた最初の「新しい旅」という1編に始まり、「ワスレナグサ」までの合計33編からなっています。
現在でも新刊で購入できる文庫本にして240ページほどのエッセイ集ですが、一気に読むよりも1編1編じっくりと時間をかけて読むことで味わいも深くなるものです。
帯にも記されていた「アラスカの広さと静けさ」を文章で体感するには、時間に余裕のあるときに落ち着いた環境でリラックスしながら読むといいでしょう。
この33編のエッセイはもともと雑誌に連載されていた文章を加筆修正の後に単行本化された経緯があります。
連載時には読者に語りかけるような趣向で書かれたため、まるで作者の星野道夫から直接話を聞くような感覚で読める点がこのエッセイ集の見逃せない魅力です。
3.大自然と異文化を追体験
写真家は自らが撮影した写真という視覚的手段を通じて自己を表現するのが普通ですが、星野道夫は例外的に文学的表現手段も重視していました。
写真だけでは伝えきれない豊かなイメージを持ち、それをエッセイとして言葉を使って表現してきたのです。
読書を趣味とする人は写真や絵ではなく文字の連なりから風景や町並み、人物の表情に至るまでを脳裏に想像する習慣を身につけています。
そんな読者にとって「旅をする木」の文章は、まだ一度も訪れたことのないアラスカの大地を頭の中で再現するのに最適の導き手を務めてくれます。
行間から立ち上がってくるのは、雄大さと厳しさを兼ね備えた大自然と、原野の中で独自の生活様式を守りながら逞しく生きる人々の姿です。
日本では見ることのできないアラスカ独特の風景と、そこに住む人たちの異文化を日本にいながら追体験できる本として、500円ほどで買える文庫版の「旅をする木」は高価な写真集にも負けない価値を持つのです。
4.アラスカをこよなく愛した写真家
星野道夫のアラスカ好きはまだ学生時代だった19歳の頃に始まると言われています。
古書店でたまたま購入した写真集を見た星野道夫はアラスカにすっかり夢中になり、翌年には早くも現地に渡って3ヶ月間のホームステイを体験しています。
大学卒業後の彼は写真家の助手として働き始めましたが、雑用ばかりの日々に嫌気が差して2年で辞めてしまいました。
その後26歳の年にアラスカ大学フェアバンクス校の野生動物管理学部に入学した経緯については、「旅をする木」の中の「新しい旅」にも書かれています。
アラスカ大学は中退することになりますが、アラスカで過ごした体験は星野道夫にとって一生の財産となりました。
アラスカの大自然に生きるグリズリーやカリブーといった動物の生態に迫った1989年の「Alaska 極北・生命の地図」では、「写真界の芥川賞」とも呼ばれる木村伊兵衛写真賞の第15回受賞作に選ばれています。
5.旅に出たくなる1冊
星野道夫は1996年にテレビ番組の取材のためロシアのカムチャッカ半島を訪れ、湖畔に設置していたテントでヒグマに襲われて亡くなりました。
サケが川を遡上する時期のヒグマは人を襲うことがないという習性を経験的に知っていたため逃げずに襲われたのですが、そのヒグマは地元テレビ局側でエサ付けされた個体だったとも言われています。
不幸な事故のために43歳という若さで命を落とした星野道夫ですが、彼の残した写真やエッセイは死後20年以上も多くの人に愛されてきました。
中でも「旅をする木」は星野がこよなく愛したアラスカの魅力が詰まった1冊として、中高年の間でも旅行に携帯していく本によく選ばれています。
この本を読めば誰でも旅に出たくなるほど、旅の楽しさや大自然の美しさを文章で味わうことができます。
書き手が読者に語りかける手紙のような文章だからこそ、誰よりも深く自然を理解した星野道夫が没後も長く人々の心の中に生き続けているのです。
「旅をする木」が気に入ったら、作者の写真集にも手を伸ばしてみよう
「旅をする木」は読書好きの人ばかりでなく、旅を愛するすべての人が読んで楽しめるエッセイ集です。
旅行を趣味としているシニア世代にも、星野道夫の書いたエッセイのファンは少なくありません。
「旅をする木」でアラスカの魅力にはまったら、少々値は張りますが今度は星野道夫撮影の写真集で雄大な自然を味わうのもいいでしょう。