定年後に読もう!『塩狩峠 』三浦 綾子(著)で自己犠牲の精神を学ぶ

最終更新日:2017年10月7日

北海道出身の作家・三浦綾子と言えば、何度も映像化された「氷点」が代表作として知られています。

その三浦綾子が書いた小説「塩狩峠」は、明治時代に北海道で起きた鉄道事故の実話を題材とする自己犠牲の物語です。

1.鉄道事故の実話がモデル

塩狩峠は北海道の旧石狩国と旧天塩国との境にある峠で、明治42年2月28日にこの峠を登坂していた列車で連結器が外れるという事故が発生しました。

この客車に偶然乗り合わせていた鉄道員の長野政雄が身を挺して暴走を食い止めたおかげで他の乗客は全員無事でしたが、長野政雄は客車の下敷きとなって命を落としたのです。

長野政雄はキリスト教を信仰し、常に遺書を携帯していたほど死を意識しながら生活を送っていたとされています。

自身もキリスト教信者だった作家の三浦綾子はこの鉄道事故を題材とし、独自の解釈を加えた上で小説「塩狩峠」を書き上げました。

長野政雄の死の原因には自殺説や事故説も含めた諸説があって、作者自身もこの作品を書くために取材を行いながら事故の真相を示す明確な証言や証拠が得られなかったと言われています。

史実の空白部分を小説家ならではの想像力で補い、感動の物語として完成させたプロセスに作者の思想性が反映されているのです。

2.鉄道員の生い立ちから殉職まで

実話に基づいた作品とは言え、「塩狩峠」はノンフィクションではなくあくまでも小説として書かれています。

主人公の名前も事故で犠牲になった長野政雄を「永野信夫」に変え、小説の登場人物としての人物造形が与えられました。

彼を取り巻く家族や親友の吉田修、修の妹で主人公の恋人になるふじ子といった人物たちも作者が独自に考え出した小説のキャラクターです。

1人の人間が多数の命を救うため自己犠牲の道を選んだ意味の重さを表現するため、この小説は主人公の生い立ちも丁寧に描かれます。

物語は主人公がまだ尋常小学校4年生だった少年時代から始まり、北海道で鉄道員として働くようになった経緯が語られていきます。

主人公は小学校時代に一家で北海道へ渡った修と10年後に東京で偶然再会し、彼の勧めで自身も北海道に移住する決意を固めました。

修の妹のふじ子に感化されてキリスト教を信じるようになったことが、鉄道事故に直面した際の主人公の行動に大きな影響を及ぼすのです。

3.自己犠牲の精神を描く

小説「塩狩峠」最大のクライマックスは、何と言っても主人公の信夫が客車の暴走を止めようとしてレールに飛び降りる場面です。

この日の彼は婚約したふじ子との結納を当日に控え、本来なら幸福の絶頂にあるはずの身でした。

そんな彼が自分の命も顧みず、他の乗客の命を救うために自らの身体を犠牲にして客車の暴走を食い止めようとしたのです。

主人公のモデルとなった長野政雄が遺書を携帯していたのは事実だったため、事故後には自殺説なども囁かれました。

作者の三浦綾子は彼の行動をキリスト教の精神に基づく自己犠牲と解釈し、常に遺書を携帯していた理由も同様の精神と結びつけています。

信者を救うため十字架にかけられる道を選んだキリストの姿を主人公と重ね合わせることで、彼の行動も理解しやすくなります。

4.キリスト信者だった作者

作者の三浦綾子がキリスト教を信仰するようになったのは、20代の頃に結核を発病したことがきっかけでした。

当時の結核は死の病と見なされており、実際に多くの小説家や詩人も結核のために若くして亡くなっています。

三浦綾子は闘病生活の中で敬虔なキリスト信者だった幼なじみの前川正と再会し、彼の影響で洗礼を受けました。

病を克服した三浦綾子は1960年代に入ってから小説家としてデビューし、1964年には朝日新聞社が募集した1000万円懸賞小説に「氷点」が入選して大ベストセラーを記録します。

継子いじめというテーマは平安時代からの定番ですが、ひたむきに生きようとする女性の姿を健気に描いた「氷点」は多くの人の共感を得てきました。

1966年から2年半にわたってキリスト教団体の月刊雑誌に連載された「塩狩峠」に先立って、「氷点」でも「原罪」のテーマに基づくキリスト教精神が息づいていたのです。

5.人間の尊さが実感できる感動作

以上のような経緯で小説「塩狩峠」は誕生しましたが、キリスト教の信者でなければこの作品の本質を理解できないということはありません。

他者を救うために自分を犠牲にした人間の尊さを描きながらも、作者は人間が生きることの意味を読者に問いかけているのです。

美談として片付けられやすい自己犠牲の逸話を作者は敢えて小説の題材として選び、命の重さという観点から人間の尊さを追求しました。

大勢の乗客の身代わりになる形で1人犠牲になった主人公も、ふじ子という恋人との結納を控えた幸福な未来を持っていたのです。

平和な時代にあっては日常生活の中でこのような命の重みを実感する機会も決して多くはありませんが、「塩狩峠」を読むことで人間の命の尊さを再認識することができます。

この感動的な物語が作者の考え出した空想の産物ではなく、明治時代の北海道で本当にあった出来事なのだという事実がフィクションに重みを与えているのです。

ハンカチ必須の感動作「塩狩峠」

実話に基づいた感動作として話題を呼んだ小説「塩狩峠」は300万部以上を売り上げる大ベストセラーを記録し、1973年には映画化もされました。

13カ国の言語に翻訳されて世界の人々にも読まれてきたこの名作は現在でも文庫本や電子書籍として購入が可能ですので、未読の人はハンカチを用意した上で読むといいでしょう。