青森県の八甲田山と言えば紅葉で有名な観光スポットですが、明治35年には雪中行軍遭難事件の現場となりました。
新田治郎が1971年に書いた「八甲田山死の彷徨」は、この悲惨な遭難事故を題材とした小説です。
1.世界山岳史上最悪の遭難事故
1977年に公開されて大ヒットを記録した映画「八甲田山」を撮影する際には、原作の「八甲田山死の彷徨」を忠実に再現するためほぼ全編現地ロケが敢行されました。
猛吹雪の山中で全身を氷に覆われた兵士たちがひとかたまりになり、1人また1人と次々と息絶えていく衝撃的なシーンがこの映画最大のハイライトです。
日本映画史上に残るこの名作にも劣らず、原作の「八甲田山死の彷徨」は重厚な読み応えの得られる山岳小説として多くの人に愛読されてきました。
この小説は明治35年1月に起きた八甲田山雪中行軍遭難事件の史実に基づきながら、作者独自の見解とフィクションを加えた作品です。
細部においては史実と異なる部分も指摘されていますが、死者199名という世界山岳遭難史上最悪の悲劇を克明に描いた点ではノンフィクションに近い迫力を持っています。
この事件は日本陸軍の秘密主義のため長く真相が明かされてきませんでしたが、新田次郎の綿密な取材によって白日の下に晒されることとなったのです。
2.悲劇はなぜ起きたのか
明治35年1月下旬、同じ八甲田山で青森第5連隊と弘前第31連隊が別ルートからほぼ同時期に雪中行軍を開始しました。
小説「八甲田山死の彷徨」ではこの2つの対照的な連隊の雪中行軍を描き分けながら、指揮系統の乱れや装備不足といった悲劇の原因を浮き彫りにしています。
雪中行軍の最中に当たる明治35年1月25日は北海道旭川市で氷点下41度という日本最低気温が記録されたほど、当時の日本付近には記録的な寒波が到来していました。
そうした気象の悪条件に加え、この大遭難事故には人災としての側面も指摘されるのです。
弘前第31連隊の徳島大尉は全指揮権を自分に一任することを条件に隊長を引き受け、少数精鋭で無理のない日程の雪中行軍を実行しました。
青森第5連隊では随行していた大隊本部の山田大佐が神田大尉の指揮権を奪い、勝手に出発命令を下したことが命取りとなります。
弘前第31連隊は1人の犠牲者も出さず全員生還したのに対して、青森第5連隊は200名近い死者を出すという大惨事となったのです。
3.重厚な人間ドラマ
「八甲田山死の彷徨」では序章に続く第一章「雪地獄」で弘前第31連隊の苦闘が描かれており、青森第5連隊の遭難場面が展開されるのは第二章「彷徨」です。
第三章「奇跡の生還」では視点が再び弘前第31連隊の徳島大尉に戻って雪中行軍から帰還するまでが描かれた後、青森第5連隊の遭難者と生存者発見の場面が続きます。
遭難始末と後日談が記された終章も含め、この大遭難事故の全貌を劇的に追体験できる小説ならではの構成が取られているのです。
自然と人間の闘いをテーマとする小説は新田次郎の最も得意とするところですが、作者の筆力は重厚な人間ドラマを描く場面にも遺憾なく発揮されています。
荒れ狂う冬山の自然の最中で、山田大佐の独断に抵抗を覚えながら出発命令を止められなかった神田大尉は追い詰められていきます。
案内を務める民間人に対して非情に徹しながら、雪中行軍隊を生還に導いた徳島大尉の厳しさに組織リーダーの鑑を読み取ることも可能です。
4.気象学者でもあった作者
このような人間ドラマが小説としての「八甲田山死の彷徨」を面白くさせているのも事実ですが、作者の実力が最大限に発揮されているのは何と言っても迫真の自然描写です。
新田次郎は中央気象台の富士山観測所などに勤務した経歴を持つ気象学者でもあり、山岳気候に関する知識と経験を豊富に持っていました。
その専門知識を生かした山岳小説も数多く執筆しており、巨石を背負って白馬岳に登頂しようと試みる山男を描いた「強力伝」で第34回直木賞を受賞しています。
新田次郎は常に綿密な取材に基づいて小説を書いた作家でもあり、得意分野の山岳小説では他の追従を許さないと言われるほどリアルな自然描写が作風の大きな特徴です。
「八甲田山死の彷徨」の他にも「孤高の人」「富士山頂」「劒岳 点の記」といった山岳小説は映画や漫画の原作として採用されています。
1982年には優れたノンフィクション文学や自然界に材を取った作品を対象として、新田次郎文学賞が創設されました。
5.リーダー論としての現代的意義
「八甲田山死の彷徨」の舞台背景となった明治の世から100年以上も経った平成の現在から見れば、この作品も一種の歴史小説として読むことが可能です。
現代の日本では考えられないような軍の規律や上下関係の厳しさに若い人は戸惑いがちですが、この作品の今日的意義は決して小さいものではありません。
実際に「八甲田山死の彷徨」をリーダー論や組織論を学ぶテキストとして採用している企業もあるほどです。
最近では一部上場の大企業でも不祥事が相次ぎ、組織に内在する問題点が企業の屋台骨を揺るがす事態に発展する例も少なくありません。
昭和の高度経済成長期に書かれた「八甲田山死の彷徨」の中にも、組織のあり方やリーダーの資質を追求するテーマが隠されているのです。
そうしたビジネス書的な読み方ばかりでなく、自然と人間との闘いや極限状況下の人間ドラマを味わう目的でも平成の世に「八甲田山死の彷徨」を読む価値は十分にあります。
大ヒット映画の原作「八甲田山死の彷徨」に触れてみよう
現在でも文庫本が新刊で購入できるだけに、「八甲田山死の彷徨」は幅広い世代の人に読まれ続けています。
若い頃に映画「八甲田山」を観て感動したという人も、原作を読めば小説ならではの新しい感動を味わえるものです。
日本の近代史の中で危うく葬り去られるところだった八甲田山の悲劇が、今も小説の中で生き続けているのです。