石見銀山(島根県)は定年後シニアの歴史散歩に最適な世界遺産

最終更新日:2018年1月10日

ユネスコの世界遺産に登録されている石見銀山は、島根県大田市にある日本最大の銀山遺跡です。

江戸時代の町並みが現在も保存されている石見銀山は、歴史を体感できる観光スポットとしてシニアの人気を集めています。

1.ねずみ捕りの名にまで利用された著名な銀山

鎌倉時代に発見されたと伝わる石見銀山は戦国時代に大内氏や毛利氏などの諸大名が争奪戦を繰り広げたほど貴重な資源として知られ、江戸時代には幕府主導で開発が進められてきました。

江戸時代初期に相当する17世紀前半には世界の銀流通量のうち3分の1を日本産の銀が占め、その大半は石見銀山の産銀だったと言われています。

明治以降は石見銀山も民間に払い下げられ、採算が合わなくなった太平洋戦争中には閉山に至りました。

何百年感にもわたって銀や銅が採掘されてきた石見銀山では、間歩と呼ばれる坑道が700以上も存在します。

そのうち現在でも坑道の内部に入って見学できるのは龍源寺間歩と大久保間歩の2つです。

江戸時代に「石見銀山ねずみ捕り」の名で売られていた殺鼠剤は、シニア世代の時代劇ファンにおなじみのアイテムとして知られています。

実際には石見銀山で砒石は産出せず、同じ石見国の鉱山で採掘された砒石を原料とする殺鼠剤を「石見銀山ねずみ捕り」として売り歩いたのです。

2.坑道が見学できる龍源寺間歩と大久保間歩

歴史散歩を趣味とするシニアにとっては見どころが盛りだくさんの石見銀山ですが、中でも龍源寺間歩と大久保間歩は必見です。

龍源寺間歩は江戸時代中期に開発された坑道で、石見銀山の坑道でも最も良好な状態で保存されていることから常時公開されています。

江戸時代にノミを使って人の手で少しずつ掘り広げられていった坑道が600mにわたって続いており、実際に銀鉱の採掘が行われていたノミの跡を見ながら通り抜けが可能です。

大久保間歩は江戸時代初期の幕府勘定奉行として知られる大久保長安ゆかりの坑道で、長安が石見銀山の初代銀山奉行に就任した際に馬に乗ったまま内部に入ったことでこの名がつきました。

石見銀山の坑道でも最大級の規模を誇る大久保間歩は健脚のシニア向けで、高さ20m幅15mにも及ぶ巨大な採掘場「福石場」が最大の見どころです。

大久保間歩への一般公開限定ツアーは原則としてメールやFAXでの予約が必要ですが、当日の運航便に空席がある場合は予約なしでも参加できます。

3.鉱山町をしのぶ散策コースも人気

石見銀山では以上のような採掘跡だけでなく、集落跡や精錬所跡が点在する鉱山町も散策コースとして人気を集めています。

石見銀山公園出口付近から龍源寺間歩まで遊歩道が通じており、散策所要時間2時間半ほどです。

龍源寺間歩を見学して坑道内部を体験したら、大久保石見守墓所や下河原吹屋跡・清水谷精錬所跡といった史跡の数々も訪ね歩いてみるといいでしょう。

清水谷精錬所跡は明治時代に藤田組によって建設された近代的な精錬所設備の跡地です。

操業期間はわずか1年半に過ぎませんでしたが、苔むした石組みの遺構に廃墟の美を感じる人も少なくありません。

常に命がけの採掘作業を強いられた石見銀山には神社や寺院も多く見られ、中でも佐毘売山神社は拝殿に天領を示す目的で重層屋根が採用されており、鉱山の神・金山彦命を祀る山神社としては最大級の規模です。

豊栄神社には毛利元就の木像が御神体として祀られています。

4.銀山争奪戦と幕府による銀山開発の歴史

鎌倉時代末期に大内弘幸が北斗妙見大菩薩の託宣を受けて銀を発見したとする伝説が伝わるように、中世の石見銀山は大内氏とゆかりの深い鉱山でした。

貴重な銀を産する石見銀山は戦国時代を通じて諸大名の争奪戦が繰り広げられ、最終的に毛利元就の支配下に置かれたのです。

毛利氏が豊臣秀吉に服するとともに石見銀山も秀吉と毛利氏代官との共同管理に変わりましたが、江戸時代に入ると徳川家康が大久保長安らを派遣して石見銀山を幕府直轄領とします。

鉱山開発の達人と言われた大久保長安の指導で石見銀山は生産性を比較的に高め、寛永年間にかけて銀産出量がピークを迎えました。

銀山開発には銀精錬のために大量の薪用木材が必要とされるため周辺の森林が乱伐される例も珍しくありませんが、石見銀山では計画的に植林が行われてきたため森林の自然環境が大きく変えられることがなかったと言われています。

その点も国際的に高く評価され、世界遺産の登録の決め手となったのです。

5.五百羅漢や代官所ゾーンも必見

採掘跡や鉱山町の遺跡だけでなく、近くの武家・町屋ゾーンや代官所ゾーンに江戸時代の町並みが保存されている点も石見銀山の魅力です。

城下町では武家町と町人の住む一帯を分けるのが一般的ですが、石見銀山では周囲に塀を巡らせた武家屋敷と通りに接した豪商の町家が軒を接するように混在している点が特徴です。

江戸情緒を今に残す町並みは伝統的建造物群保存地区にも指定されており、時代劇の世界に迷い込んだような気分が味わえます。

この武家・町屋ゾーンには石窟の中に五百羅漢が並ぶ羅漢寺もありますので、パワースポット好きのシニアは是非立ち寄ってみるといいでしょう。

武家・町屋ゾーンに続く代官所ゾーンでは国の重要文化財に指定されている熊谷家住宅や、石見銀山資料館となっている大森代官所跡が歴史ファンに必見のスポットです。

時間があれば石見銀山街道や銀積み出し港の港鞆ヶ浦・沖泊といった世界遺産構成要素の名所にも足を延ばしてみるといいでしょう。

世界遺産に認められた石見銀山を訪れよう

石見銀山には坑道に加え、江戸時代の鉱山町や武家町・町屋・代官所跡に至るまでが良好な状態で保存されています。

街道や港も含めた文化遺産の価値が認められた結果、産業革命前の鉱山遺跡としては異例の世界遺産登録が実現されたのです。

歴史好きのシニアが一度はみておきたい史跡スポットの1つとして、石見銀山は外せません。