「水木しげる」独特のマイペース人生「怠け者になりなさい」という言葉に長生きの秘訣が凝縮

最終更新日:2017年11月1日

2015年に93歳という高齢で亡くなった漫画家の水木しげるさんは、妖怪研究の第一人者として知られると同時に、ユニークな人生哲学の持ち主でもありました。

その生き方には健康長寿にもつながる秘訣が隠されています。

1.文化功労者にも選ばれた漫画家

テレビアニメとしても人気を呼んだ「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家の水木しげるさんは、長年の功績が認められて2010年には文化功労者に選ばれました。

それまで子供向けの低級な娯楽と見なされていた漫画が1つの文化として認められるようになったのも、水木しげるさんを始めとする偉大な漫画家たちの貢献度が大きかったのです。

水木さんが最も得意としていたのは「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される妖怪漫画ですが、「総員玉砕せよ」や「コミック昭和史」など戦記漫画や近代史を取り上げた作品も高い評価を得ています。

漫画だけでなく「水木しげるの妖怪事典」「日本妖怪大全」といった妖怪解説書も多く、妖怪文化を大衆に広く浸透させた多大な功績も見逃せません。

出身地の鳥取県境港市では水木漫画に登場する妖怪たちをモチーフとした銅像を市内の商店街に多数設置し、「水木しげるロード」として観光客から親しまれています。

2.晩年まで現役として活躍

漫画文化の発展と妖怪研究に大きな役割を果たしてきた水木しげるさんは、90歳を過ぎて以降も現役の漫画家として活躍していた点でも特筆されます。

同じく漫画界の巨人として活躍してきた手塚治虫さんが60歳で亡くなったのと比べ、息の長い漫画家活動を続けてきた点が水木さんの違うところです。

2014年から2015年にかけて漫画雑誌に連載された「わたしの日々」を始め、書き下ろし長編漫画「水木しげるの泉鏡花伝」やエッセイ「ゲゲゲのゲーテ」などは90代で書かれた作品です。

このように書くといかにも高齢になってまで猛烈に仕事をしていたような印象を受けてしまいますが、実際の水木さんはある時期から仕事量を意図的にセーブしていました。

晩年の水木さんにとって漫画は仕事と言うよりも、好きで取り組む趣味のようなものだったのです。

好きなことにとことん取り組む姿勢が長生きの秘訣とも言えますが、その境地に達するまでにはさまざまな苦労がありました。

3.戦争体験と貧乏時代

生来のんびりとした性格で寝ることと食べることが何よりも好きだった水木さんは、小学生時代は決して学業優秀というわけではありませんでした。

社会に出てからもそうしたマイペースの性格が仇となって仕事が長続きせず、画家になるという目標をなかなか達成できずにいたのです。

時代は太平洋戦争へと突き進み、水木さんも召集されて南方戦線に送られ過酷な軍隊生活を体験します。

敵軍の襲撃を受けて左腕を失いながらも終戦まで生き延びた水木さんは、戦後になると生活のために紙芝居や貸本漫画を描いてきました。

いずれも時代変化に翻弄された斜陽産業だっため生活は苦しく、質屋通いの日々が続きます。

当時の貧乏生活の様子は妻の布枝さんが書いたエッセイ「ゲゲゲの女房」に詳しく、同作がNHK朝の連続テレビ小説として映像化されたことで広く知られるようになりました。

「ゲゲゲの鬼太郎」が大ヒットし人気漫画家となったことで貧乏時代も終わりを告げましたが、今度は寝る暇もない多忙の日々が待ち受けていたのです。

4.独特のマイペース人生

突如として人気漫画家になったことで自分を見失いかけていた水木しげるさんでしたが、ニューギニア旅行をきっかけに本来のマイペースを取り戻します。

ニューギニアの地はかつて過酷な戦争体験をした場所ですが、原住民と意気投合して除隊後に現地へ残ることも考えたほど思い入れの深い場所でもあったのです。

久しぶりに訪れたニューギニアでのんびりとした生活を送る現地人と接した水木さんは、帰国後に仕事量を抑える決意をしました。

水木さんとともに戦後の漫画界を支えた手塚治虫さんは60歳の若さで亡くなりましたが、最後まで仕事量を減らさなかったことで寿命を縮めたとも考えられます。

水木さんは途中から本来のマイペースを取り戻したからこそ、93歳という長寿を全うできたのです。

水木しげるさんの人生哲学を示す名言として「幸福の七か条」が知られていますが、その中の1つ「怠け者になりなさい」という言葉に長生きの秘訣が凝縮されています。

5.学ぶべき長寿の秘訣

60歳で亡くなるまで猛烈な仕事ぶりを続けていた手塚治虫さんと比べ、50歳を過ぎてから意図的に仕事量をセーブしてマイペースの生活に戻した水木しげるさんは人生の長さで30年以上もの開きがあります。

数々の名作を残してきた点で2人は共通しますが、人生の過ごし方という観点から見ればその違いは歴然としています。

シニア世代の人が参考すべき生き方は、マイペースを貫きながらも好きなことはとことん追求した水木さんの人生です。

晩年に書かれた作品はいずれも水木さん自身が書きたいと思っていた作品ばかりで、自分の好きな漫画に取り組みながら睡眠と食事はたっぷりと取っていたことが長生きにつながったとも言えます。

話し好きで親しみやすい水木さんの人柄も多くの人に愛され、周辺には同じ妖怪愛好家の荒俣宏さんなど個性的な仲間たちで賑わっていました。

そんな水木しげるさんの生き方は、健康に長生きすることを願うシニアにとって1つの理想像と言えます。

さまざまな苦難を乗り越えてきた水木しげるさん

93歳で永眠するまで大病をすることもなかったとは言え、漫画家にとって片腕がないというのは大きなハンディだったはずです。

そのため人の3倍は努力したという水木しげるさんも、長い人生の中でさまざまな苦労を乗り越えてきました。

迎えた晩年も持ち前の明るさでマイペースに過ごしていた姿は、シニアの手本となる存在です。