「小澤征爾」は食道がんなどの度重なる病気を克服し生涯現役を貫く

最終更新日:2017年11月1日

世界的な指揮者として知られる小澤征爾さんは、80歳を過ぎた今も現役として活躍中です。

指揮者は全般に平均年齢が高いとは言え、食道がんなどの度重なる病気を克服してきた姿に共感を覚えるシニアも少なくありません。

1.日本が生んだ世界的名指揮者

近年はクラシック音楽の世界でも日本人が活躍するようになりましたが、小澤征爾さんは日本人の指揮者として世界で初めて認められた存在と言っても過言ではありません。

パリ滞在中に24歳でブザンソン国際指揮者コンクールの1位に輝いたのを皮切りに、サンフランシスコ交響楽団やボストン交響楽団の音楽監督を務めるなど、小沢さんは世界を舞台に活躍してきました。

特にアメリカの一流オーケストラを指揮しての実績が豊富なため、小澤征爾さんは現地で日系アメリカ人だと見なされているほどです。

2002年には正月恒例のウィーン・フィルニューイヤーコンサートを日本人として初めて指揮したことでも話題となりました。

小澤征爾さんはアメリカばかりでなくヨーロッパの名門オーケストラも数多く指揮し、日本人の指揮者が世界で認められるきっかけを作ったとも言えます。

1人の日本人指揮者が「世界のオザワ」と呼ばれるようになるまでには、人生の知られざるドラマがあったのです。

2.食道がんを克服して復帰

そんな小澤征爾さんも、2000年代以降はしばしば体調を崩して手術や療養生活を余儀なくされます。

2005年に白内障の手術を受けたのを始めとして、翌年には帯状疱疹と慢性上顎洞炎・角膜炎を相次いで発症したのです。

その都度音楽活動の一時休止にも追い込まれましたが、音楽に対する小沢さんの情熱は衰えませんでした。

2010年には初期の食道がんが見つかり、小沢さんは食道の全摘手術に踏み切ります。

およそ半年間にわたってすべての音楽活動をキャンセルした後、同年8月に小沢さんは見事に復帰を果たしてサイトウ・キネン・フェスティバルにも総監督として出演しました。

その後も腰の手術や体力回復を理由に音楽活動を何度か休止しましたが、現在も小沢さんは引退することなく精力的に活動を続けています。

2010年に患った食道がんは大術が必要なことで知られていますが、自ら「半年以内に戻ってくる」と明言してその言葉通りに復帰を果たした姿は多くの人の感動を呼びました。

3.日本を飛び出し世界に羽ばたいた経緯

小澤征爾さんは幼い頃から音楽の才能を表してピアノを学び始めましたが、その家庭環境は必ずしも裕福なわけではありませんでした。

練習するためのピアノも親類の家から譲ってもらい、横浜市から立川市の自宅まで3日がかりでリヤカーで運んだという苦労話が知られています。

中学時代にはラグビー部に所属していたため、試合中の怪我で指を骨折してピアニストの道を断念することになりました。

それが結果的に指揮者を目指すきっかけとなったのですが、高校進学後に出会った師・齋藤秀雄の厳しい指導に耐えた日々が今日に至る小澤征爾さんの基礎を築いたとも言えます。

血気盛んだった20代の頃には、日本を代表するオーケストラNHK交響楽団とのトラブルでボイコットに遭ったこともありました。

以後「日本で音楽をするのはやめよう」と決意した小沢さんは海外に活動拠点を移して世界的指揮者となり、30年余りを経てからN響との和解を果たしたのです。

4.音楽への変わらない情熱

日本を代表するオーケストラとのトラブルで国内での音楽活動が困難になったことが、指揮者として世界的成功を収めるきっかけとなったのは皮肉な話です。

新進気鋭の若手指揮者だった時代のこうした苦い経験をばねに、世界の舞台へ飛び出した小澤征爾さんは厳しい自己研鑽を積んだものと想像されます。

逆境をエネルギーに換えて成長の糧とする過程で、小澤征爾さんの人生哲学が形成されていったのです。

保守的なクラシック音楽の世界で日本人の指揮者が世界のオーケストラに認められるようになるまでには、数々の試練が待ち受けていたに違いありません。

そうした試練を乗り越えて世界的名指揮者へと成長していく原動力となったのは、小沢さんが持ち続けてきた音楽への熱い想いでした。

80歳を超えた今も度重なる病を克服しつつ現役として活動を続けているのも、老いてなお変わらぬ音楽への情熱に支えられているからにほかなりません。

5.若手指導に取り組む現在

N響事件をきっかけに一度は日本の音楽界との決別を誓った小澤征爾さんですが、新日本フィルハーモニー交響楽団やサイトウ・キネン・オーケストラの設立には中心的役割を果たしています。

齋藤秀雄の没後10年を記念して1984年に開催されたメモリアルコンサートには、小沢さんを筆頭に世界から門下生が集まりました。

そのときのメンバーが後のサイトウ・キネン・オーケストラの元となり、日本を代表するオーケストラの1つとして世界に認められたのです。

これらの業績は1995年にN響との和解を果たす以前の出来事で、世界を舞台に活躍してきた中でも小澤征爾さんは故郷・日本の音楽界を常に気にかけていたことが窺えます。

現在は小澤征爾音楽塾を柱に日本人の若手演奏家の育成にも力を注いでおり、オザワさんの蒔いた種が日本国内でも次々と芽を出して大きく育ちつつあります。

高齢になっても精力的に活動を続けるその姿は、シニア世代の人にとって鑑と言える存在です。

病気がちなシニアを勇気付けてくれる小澤征爾さん

食道がんという人生最大の危機を乗り越え、以後の体調不良もその都度克服してきた小澤征爾さんの精神力は、音楽ファンのみならず多くのシニアを勇気づけてくれました。

がんを始めとしてさまざまな病気と闘っている人にとっても、食道がんから復帰した初指揮を「第二の人生の第1日目」と表現した小沢さんの生き方は参考になります。