定年後シニアの読書『流れる星は生きている 』藤原 てい(著)に戦争の悲惨さを思い知る

最終更新日:2017年10月7日

昭和24年に出版された「流れる星は生きている」は、空前のベストセラーを記録して映画化もされました。

満州からの壮絶な引き揚げ体験に基づいたこの作品の作者・藤原ていは、作家・新田次郎の妻としても知られています。

1.壮絶な引き揚げ体験

「八甲田山死の彷徨」などの小説で知られる新田次郎は、作家としてデビューする以前は気象学者として中央気象台の観測所に勤務していました。

太平洋戦争中の昭和18年に彼は満州気象台に転属となり、妻の藤原ていも夫に従って幼い子らを連れ満州に渡ります。

その2年後には日本の敗戦が決まり、一家は満州からの引き揚げの混乱に巻き込まれました。

夫の新田次郎は幼い3人の子供たちを妻に託して満州に残り、ソ連軍の捕虜となります。

藤原ていは夫の身を案じながらも子供たちを連れて必死の脱出行を試みますが、現在の北朝鮮で足止めを食って何度も死を覚悟するような苦労を味わいました。

母子が大陸を脱出して博多への上陸を果たしたのは、終戦から1年以上経った昭和21年9月のことです。

まさに言語を絶する引き揚げ体験を藤原ていは実体験にフィクションも交えた小説の形にまとめ上げ、3年後に出版して大評判を得たのです。

2.朝鮮半島での過酷な脱出行

藤原ていが子供たちとともに内地への引き揚げを開始したのは、長崎に原子爆弾が落とされた昭和20年8月9日の夜でした。

藤原ていは当時6歳の長男を筆頭に3歳の次男と生後1ヵ月の長女を連れ、汽車に乗って満州を離れます。

8月15日の終戦を迎えたのは、現在の北朝鮮領にある宣川に入ってからのことです。

すでに38度線以南への交通は遮断されており、母子は以後この地で1年近くも悲惨な収容所生活を送ることになります。

やがて母子4人は宣川から脱出して徒歩で移動し続け、38度線を越えてアメリカ軍に保護されました。

当時の朝鮮半島はこの38度線を境に北はソ連に占領され、南はアメリカに占領されて大変な混乱の最中にあったのです。

そうした中で敗戦国日本の国民は、たとえ民間人であっても明日の命をも知れぬ立場に追い込まれていました。

引き揚げ開始当初は日本人同士で組んでいた集団も途中でバラバラになり、藤原てい親子は無事に生還しましたが、逃げる途中で命を落とした子供も少なくなかったのです。

3.子供たちを守り抜いた母

大陸からの引き揚げを題材とした作品は戦後に数多く書かれ、シベリア抑留も含めて文学作品や映像作品のテーマにたびたび取り上げられてきました。

戦争が生んだ副産物とも言えるそれら終戦後の苦難体験を描いた作品の中でも、「流れる星は生きている」は最も大きな反響を呼んだ例と言えます。

それは戦争の記憶が生々しく残る終戦後4年目の時期に出版されたことに加え、壮絶な引き揚げ体験を持つ藤原てい自身に作家としての文才があったこともベストセラーとなった一因です。

常に死と隣合わせの過酷な日々を描くにも、実際に体験した人でなければ書けない文章のリアリティが大きな強味となります。

飢えと寒さの中で絶えずソ連軍に怯えながら、ほとんど徒歩で移動を続けた母子の姿が目に見えるように行間から立ち上がってきます。

子供たちの命を守り抜くため女らしさもプライドも捨てて行動した母の強さには、戦後70年以上を経た現代の読者も胸を強く打たれるのです。

4.夫・新田次郎より先に作家として成功

「もうこれ以上は生きられない」という言葉で締めくくられた「流れる星は生きている」は、子供たちに残す遺書のつもりで書かれた作品でした。

それが出版と同時に大きな話題を呼んで大ベストセラーとなり、同年には映画の原作にも採用されたのです。

その3年前には夫の新田次郎も抑留生活から解放されて帰国していましたが、収入は少なく一家の生活は困窮していました。

妻の著作がベストセラーとなって多額の収入が転がり込んできたのを見て新田次郎も奮起し、作家生活を開始するようになります。

1955年に「強力伝」で直木賞を受賞した新田次郎は、以後山岳小説や歴史小説の分野で一時代を築き上げてきました。

そんな夫よりも一足先に作家として成功を収めていた藤原ていは、新田次郎が世に出るきっかけを作った存在とも言えます。

母とともに過酷な引き揚げを生き抜いた次男の数学者・藤原正彦も文筆を得意とし、ベストセラーを記録した「国家の品格」など多くの著作を出版しています。

5.戦争の悲惨さを語り継ぐ

平和な時代が長く続いた日本では、戦争の生き証人も次々と世を去って悲劇の記憶は次第に薄れつつあります。

「流れる星は生きている」を書いた藤原ていも、2016年に98歳という高齢で老衰のため亡くなりました。

今世紀に入ってからの彼女はすでに目立った著作を書かず表舞台から遠ざかっていましたが、出世作ともなった「流れる星は生きている」は世代を越えて読み継がれるべき作品です。

大陸からの悲惨な引き揚げを体験した人から生の証言を聞く機会がめっきり少なくなった今こそ、残された文学作品が貴重になってきます。

引き揚げ体験を題材に数多く書かれた作品の中でも、「流れる星は生きている」は多くの日本人に愛読されてきた1冊です。

現在でも文庫本として新刊が入手可能ですので、未読の人は一度読んでみるといいでしょう。

平和への追求心を揺さぶる「流れる星は生きている」

現在のシニア世代にも太平洋戦争後に生まれた人が増えていますが、戦争の傷跡が残されていた昭和の時代に青春を過ごした人も少なくありません。

そんな世代の人たちにとって、「流れる星は生きている」は心の深い場所に呼びかけるような作品です。

この作品を読めば、平和への意識を新たにするための大きな力が得られます。