定年後シニアの読書『空飛ぶタイヤ 』池井戸 潤(著)で弱者の絶望的状況からの大逆転劇に目をみはる

最終更新日:2017年10月7日

書籍売上げランキングのフィクション部門で上位にランクされる常連作家の1人として、企業小説を得意とする池井戸潤の名前は外せません。

2006年発表の「空飛ぶタイヤ」には、池井戸作品の人気の秘密が詰まっています。

1.大企業の闇に挑んだ経済小説

元銀行マンの池井戸潤は金融業界を舞台とした小説を多く手がけていましたが、43歳のときに書いた「空飛ぶタイヤ」は運送会社の社長を主人公とする作品です。

このタイトルからも想像されるように、2002年のタイヤ脱落事故で社会的注目を集めた大手自動車メーカーのリコール隠し事件が作品のモデルとなっています。

日本を代表する大企業が一時は経営の危機に陥ったこの事件を下敷きに、池井戸潤は原稿用紙換算で1200枚を超える経済小説巨編を書き上げたのです。

従業員100人に満たない小さな運送会社の社長が巨大な財閥系自動車メーカーに挑むストーリーの「空飛ぶタイヤ」は、2006年の第136回直木賞候補にも選ばれました。

惜しくも直木賞受賞はなりませんでしたが、この作品は吉川英治文学新人賞を受賞し映像化もされています。

2.大手自動車メーカーと対決する運送会社社長

主人公の赤松徳郎が社長を務める赤松運送のトレーラーが走行中にタイヤ脱落事故を起こし、歩行者が死傷したことから「空飛ぶタイヤ」の事件は動き出します。

警察が発表した調査の鑑定結果で事故原因を整備不良と断定され、主人公と赤松運送は窮地に陥ります。

しかしながら警察が事故原因の鑑定を依頼したのは、事故を起こしたトレーラーの製造元企業「ホープ自動車」でした。

ホープ自動車は財閥系の大企業で社会的信頼も厚く、誰もが鑑定結果を支持します。

自社の整備技術に絶対の自信を持つ主人公は鑑定結果に疑問を抱いて再調査を依頼しましたが、ホープ自動車は受け付けてくれません。

ホープ自動車の社内には隠蔽体質があり、リコール隠しが日常化していたのです。

「空飛ぶタイヤ」は闇を抱える大企業と中小企業の運送会社社長との対決の様相を呈していきます。

3.映像化にも適したキャラクター

「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」がドラマ「半沢直樹」として高視聴率をマークしたように、映像化された池井戸作品も原作同様に人気を集めてきました。

企業小説や経済小説を得意とする作家としては異例の人気ぶりとも言えますが、その人気にも明確な理由があります。

このジャンルの小説は企業活動や経済にスポットが当てられるため、従来は登場人物の人間性が犠牲にされがちでした。

これに対して池井戸潤は企業小説や経済小説でも登場人物を将棋の駒のように動かすのではなく、人間をしっかりと描くことを心がけています。

作家としてのそうした姿勢が読みごたえのある人間ドラマを生み出し、登場人物たちが生き生きと躍動する小説が読者に読む楽しみを与えてくれるのです。

「空飛ぶタイヤ」の主人公・赤松徳郎も憎めないキャラクターとして描かれ、赤松運送やホープ自動車の社員から主人公の家族・週刊誌記者に至るまで個性派が揃っています。

4.サラリーマン層を中心に人気沸騰

このような人物像の明確さに加え、会社経営や企業活動に関するリアリティの高い舞台背景も池井戸作品で見逃せない魅力です。

作者の池井戸潤は、奇しくも「空飛ぶタイヤ」に登場するホープ自動車のモデルとなった自動車メーカーと同じ財閥系の銀行に勤務していた経験を持ちます。

32歳で銀行を退職した後はコンサルタント業やビジネス書の執筆で収入を得ていた時期もあるだけに、企業経営や経済に関する知識を豊富に持っていました。

そうした知識は小説家としてのデビュー後も大きな武器となり、池井戸潤は企業小説の分野でめきめきと頭角を現していきます。

直木賞受賞をきっかけに池井戸潤の知名度が急上昇すると、過去の作品も含めてサラリーマン層を中心に絶大な支持を集めました。

新作が発表されるたびに池井戸作品が書店のベストセラーランキング上位に名を連ねてきた背景には、目の肥えたサラリーマン層も納得させる文章のリアリティがあったのです。

5.胸がすく読書体験

「空飛ぶタイヤ」を含む池井戸作品がこれだけ人気を集めてきた理由は、単にそうした舞台背景上のリアリティだけではありません。

「空飛ぶタイヤ」は実際に起きたタイヤ脱落事故を題材としながら、大企業の暗部を暴露するノンフィクション的要素以上にストーリーの面白さに主眼が置かれた作品です。

主人公が強大な敵に挑むという図式はあらゆるエンターテインメントの物語に共通するストーリー構造ですが、その黄金パターンを経済小説の分野に適用した点に作者の独創性が発揮されています。

ある意味で時代劇にも通じるような胸のすく読後感を得られる経済小説の登場を、多くのサラリーマンたちが待ち望んでいたとも言えます。

「空飛ぶタイヤ」は現役のサラリーマン世代や企業経営者はもちろん、企業の第一線を退いたシニア世代が読んでも読書の楽しさが味わえる作品です。

文庫本では800ページを超える大作ですが、面白さの余り一気読みしてしまったという人も少なくありません。

弱者の視点から大逆転劇を描く「空飛ぶタイヤ」

池井戸潤の直木賞受賞作「下町ロケット」もまた、大企業との困難な闘いに挑む中小企業経営者の物語でした。

常に弱者の立場に立って小説を書き続ける作者への支持は、ベストセラーの数字に反映されています。

絶望的状況からの大逆転劇が描かれる「空飛ぶタイヤ」は、「下町ロケット」で池井戸作品の魅力に目覚めた人も満足できる作品です。