最近ではスポーツを題材に取り上げた小説が数多く書かれるようになり、球技から格闘技まで多彩な競技が作品化されてきました。
中でも三浦しをん「風が強く吹いている」は、陸上競技の駅伝にスポットを当てた傑作小説です。
1.箱根駅伝出場を目指す青春ストーリー
2006年に出版された「風が強く吹いている」の主人公・清瀬灰二は、寛政大学という架空の大学で駅伝チームのキャプテンを務めている人物です。
蔵原走という天才的な走力を持つランナーと主人公が出会うことで物語が動き出し、竹青荘というボロアパートに住むメンバーたちとともに箱根駅伝出場を目指すことになります。
「東京箱根間往復大学駅伝競走」という正式名称を持つ通称・箱根駅伝は、毎年正月にテレビで2日連続の長時間中継が行われ、驚異的な視聴率を記録し続けている競技として有名です。
普段は陸上競技など観ることがないのに、箱根駅伝だけは正月の風物詩としてテレビ観戦している人というも少なくありません。
国民的スポーツと表現しても過言でない箱根駅伝ですが、三浦しをんが「風が強く吹いている」を書くまでこの競技を題材とした小説がほとんど書かれていなかったのは意外とも言えます。
2.天才ランナー2人の出会い
過去の箱根駅伝では、本番間近になって出場選手の1人が万引き犯を取り押さえるという出来事も起きています。
この場合は箱根駅伝に出場予定の選手が得意の走力を生かして万引き犯の逮捕に協力した美談ですが、「風が強く吹いている」でも似たような出来事からストーリーが始まっています。
小説の中では逃げる万引き犯が天才ランナーの蔵原走で、追いかけるのは主人公の清瀬灰二です。
ただし蔵原走は驚異の走力を持つランナーのため、主人公は自転車で追い着いて彼を捕まえます。
同じ大学に通う蔵原走は恵まれた素質を持ちながら、高校時代に問題を起こして出場停止処分を受けた過去を持つ曰くつきの人物でした。
蔵原走の走力に惚れ込んだ主人公は自らが主将を務める駅伝チームに彼を勧誘し、他の8人のメンバーが住むボロアパートに住まわせることにします。
主人公自身も天才ランナーですが過去に右膝を剥離骨折して手術を受けており、足に不安を抱えていたのです。
3.個性豊かなメンバーたち
「風が強く吹いている」には主人公の清瀬灰二と型破りなキャラクターの蔵原走の他にも、個性豊かな人物たちが登場します。
クイズ好きの「キング」坂口洋平や漫画オタクで運動音痴の「王子」柏崎茜といった駅伝メンバーの他、美人マネージャーの勝田葉菜子は男たちが活躍する物語の中で一輪の花といった役どころです。
蔵原走が加わって箱根駅伝出場に欠かせないぎりぎり10人のメンバーが揃ったと言っても、その実態は寄せ集めに過ぎません。
そのようなチームで果たして箱根駅伝に出場できるのかどうかという点は、この小説でも最大の読みどころです。
人心掌握術に優れる主人公の清瀬灰二は、性格的に問題を抱える蔵原走の心を解かしていきます。
そんな主人公と蔵原走との衝突シーンは作中でも最大のハイライトとなっており、チームの今後を大きく左右する重要な場面として見逃せません。
4.直木賞を20代で受賞した才能
作者の三浦しをんは必ずしも「風が強く吹いている」のようなスポーツ小説を得意としていたわけではなく、むしろお仕事小説と呼ばれるジャンルに傑作が少なくありません。
2000年のデビュー作「格闘する者に○」は就職活動をテーマとした小説ですが、作者自身も大学卒業後の就職活動で面接に全部落ちるという大きな挫折を味わっています。
2006年の「まほろ駅前多田便利軒」は便利屋を営む男を主人公とする連作小説集です。
三浦しをんはこの作品で当時としては史上4人目という20代の若さで直木賞を受賞しましたが、その名を一躍有名にしたのは2011年の「舟を編む」でした。
辞書を編集する人々の姿をドラマチックに描いたこの作品は、2012年の本屋大賞に選ばれてベストセラーを記録したのです。
「風が強く吹いている」は直木賞を受賞して一流作家の仲間入りを果たした三浦しをんが、多忙な中で同年中に書き上げた受賞第一作目の長編小説でした。
5.スポーツが好きになる小説
女性作家でありながら男同士が繰り広げるドラマを得意とする三浦しをんにとって、スポーツ小説は最も実力を発揮し得る舞台でもあります。
それまで小説の題材としてあまり取り上げられてこなかった箱根駅伝に着目し、これだけ読ませるドラマを作り上げた手腕には映像界も飛びつきました。
2009年には大森寿美男の監督・脚本で「風が強く吹いている」が映画化され、同年のキネマ旬報ベスト・テンにも選ばれています。
映像に劣らず原作の小説でも駅伝にかける男たちの熱いドラマが味わえますので、未読の人は現在でも新刊で入手可能な文庫本で読んでみるといいでしょう。
「風が強く吹いている」は駅伝やスポーツが好きな人ばかりでなく、スポーツにはあまり縁のなかった人も楽しめる小説です。
それまでスポーツに興味を持てなかった人でも、三浦しをんの描く男たちの熱気あふれるストーリーを読めばスポーツが好きになれます。
駅伝の魅力を再認識できる「風が強く吹いている」
マラソンや駅伝は日本人の国民性に最も合ったスポーツとも言われており、特に日本発祥の駅伝は海外ではほとんど見られない競技です。
日本人がなぜ駅伝にこれだけ熱くなれるのかという理由は、「風が強く吹いている」を読めば納得できます。
この小説を読んでから正月の箱根駅伝中継を観れば、感動が何倍にも膨らむものです。