童話や児童文学の名作には無限の想像をかき立ててくれるような作品が少なくありませんが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」もその1つです。
星空を駆ける銀河鉄道のイメージは、多くの読者を空想の世界に誘ってきました。
1.作品成立の経緯
岩手県に生まれた宮沢賢治は37年という短い生涯の中で数多くの詩や童話作品を残しましたが、生前に発表されたのは詩集と童話集の各1冊ずつに過ぎません。
むしろ死後に評価が高まり、「銀河鉄道の夜」を始めとして「風の又三郎」「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」などの童話が子供たちに愛読されてきました。
宮沢賢治の童話は小学校の国語教科書に採用される例も少なくありませんが、中でも「銀河鉄道の夜」は映画やアニメ・演劇などでもたびたび取り上げられてきた代表作です。
賢治はこの作品を何度も推敲して改稿・加筆を繰り返しており、完成しないまま亡くなってしまいました。
現在定本として流布しているのは最終的に残された草稿で、初期形から4回にわたって書き換えられる中で内容が大きく変更されています。
独立した童話としての完成度が高い作品は後世の作家によって多く書かれていますが、草稿であっても「銀河鉄道の夜」の持つ豊かなイメージは多くの読者を魅了してきたのです。
2.前半と後半で異なる構成
以上のような成立事情を考慮すると、「銀河鉄道の夜」の章立てが完全でない点も納得がいきます。
400字詰原稿用紙換算で100枚余りに達する最終形の草稿は、前半と後半に大きく分けられます。
「午后(午後)の授業」と題する第1章から、「鳥を捕る人」と題する第8章に細かく分かれているのがその前半部分です。
これに比べて「ジョバンニの切符」と題する第9章は後半の全体を占めており、作中でも最も多い分量を費やすエピソードが展開されます。
主人公のジョバンニは病気の母親を助けるため、学校に通いながら新聞配達や印刷所の活字拾いで働いている少年です。
級友たちにうまく溶け込めない孤独なジョバンニに対して、カムパネルラだけは彼をからかわずに同情を示していました。
ケンタウルス祭の夜にジョバンニはカムパネルラとともに銀河鉄道に乗り、夢のような風景を見たり風変わりな乗客と交流したりします。
3.豊かなイメージを喚起
夜空に輝く銀河の中を走る列車というだけでも類まれな想像力を示す発明ですが、豊かなイメージを読み手に呼び起こす描写の数々も「銀河鉄道の夜」の魅力です。
宮沢賢治は詩人としてもユニークな才能の持ち主だけに、その童話には詩的表現がちりばめられた作品が少なくありません。
「銀河鉄道の夜」もその例外ではなく、銀河や星座から想像の翼を広げていった幻想的な世界が作中で繰り広げられています。
詩人の面目躍如といった趣きを持つ「北十字とプリオシン海岸」の章や、「ジョバンニの切符」の章で展開される車窓風景の多彩な変転なども見逃せない読みどころです。
「銀河鉄道の夜」が映像作品の原作としても多く取り上げられてきたのも、読む者に無限大の想像を喚起させずにはいられない言葉のマジックによる副産物とも言えます。
動植物や鉱物・天体といった自然に関する作者の豊富な知識がこうした描写を支えており、読者を非日常の世界に誘う吸引力の源となっているのです。
4.銀河鉄道の持つ意味
宮沢賢治は岩手軽便鉄道をモデルとしてこの銀河鉄道のイメージを思いついたと言われています。
この銀河鉄道は、単に宇宙空間を走るだけの空想的な列車ではありません。
銀河鉄道は死者が天上の世界に向かう乗り物としての性質を持つ点も、作中で仄めかされています。
主人公のジョバンニだけが「どこでも勝手にあるける通行券」を持っていた事実に、他の乗客の運命が暗示されているのです。
「ジョバンニの切符」と題する長い最終章では、氷山に衝突して沈没した船に乗っていたという女の子とその弟が、家庭教師の青年とともに乗り込んできます。
この章の大半は女の子たちとの交流に費やされていますが、この3人は天上へと向かうサザンクロスの駅で下車してしまいます。
ジョバンニと同乗していたカムパネルラの運命も乗車当初から暗示されており、そうした伏線が結末で回収されるのがこの作品の基本構造です。
このような観点で「銀河鉄道の夜」を読めば、幻想的で美しい情景に満ちた物語も魂の文学としての輝きを帯びてきます。
5.大人も魅了される物語
「銀河鉄道の夜」は子供向けの童話として書かれてはいますが、大人が読んでも強く心を揺さぶられるような読書体験が得られる名作です。
神秘的な宇宙の情景をバックに繰り広げられる物語の中でも、ジョバンニとカムパネルラの友情を示すエピソードは年長の読者をも魅了せずにはいられません。
ジョバンニはクラスメートから心ないからかいを受けますが、そんな彼にとってカムパネルラだけは心の支えとなる憧れの存在でした。
そのカムパネルラと一緒に「ほんとうのさいわい」を探しに行こうと誓い合う部分は、「銀河鉄道の夜」でも特に読者の感動を誘う名場面です。
「ほんとうのさいわい」の根底にはキリスト教的な自己犠牲の精神も窺えますが、宮沢賢治が傾倒していた仏教思想にも深く通じる部分があります。
「雨ニモマケズ」の精神を童話の形で表現しようと苦心した結果が、「銀河鉄道の夜」を作者の死後も長く読み継がれる名作にまで育て上げたのです。
年をとった今だからこそ「銀河鉄道の夜」を読み返そう
「銀河鉄道の夜」の影響力は非常に大きく、文学だけでなく漫画やアート・音楽など多方面に波及してきました。
著作権が切れた現在ではインターネットや電子書籍でも「銀河鉄道の夜」を無料で読むことができます。
大人になってから「銀河鉄道の夜」を読んだ場合でも、眠っていた少年や少女の心が目覚めて物語に共鳴を始めるものです。