ジョージ・オーウェルの「動物農場」と言えば、ユートピア小説として有名です。
一見、動物たちの登場するユーモラスな小説にも見受けられるのですが、その内容としては、当時の政治情勢を赤裸々に批判した挑戦的な作品となっています。
1.あらすじ
「荘園牧場」で人間の農場主たちの元で家畜として飼われていた動物たち。
その動物たちが、ある日このように言い始めます。
同志諸君、自分たちは人間の農場主たちに不当に利益を搾取され、太るためにエサを食べさせられて、利用価値がなくなった途端に残虐極まりないやり方で惨殺される、と。
我々の生活の本質とは何なのだ。
そしてメージャーという名の豚はさらに続けます。
自分は昨晩夢を見た、と。
人間が消え去った世界、それは地上の夢のような世界だったと。
このような言葉が次第に農場の動物たちの間に革命の火種となっていくのです。
メージャーという名の豚の死後にその思想をまとめた動物主義という思想体系となって農場の動物たちの間に広まっていきます。
そうして農場主である人間を追い出した後、動物たちの動物たち自身による新生活が始まります。
しかし、そんな理想の生活においても、互いに不和や争いは絶えず、期待していたような理想郷とは違った現実に直面します。
ユートピアはそこには存在しなかったのです。
そんな中で、動物農場は次第に混乱状態へと陥っていきます。
2.当時の政治情勢
ジョージ・オーウェルがこの本を書き上げたのは1944年。
この本の題材となっている共産主義大国であるソ連はまだ米英との同盟国でした。
そんな中で共産主義を痛烈に批判した「動物農場」は、いくつもの出版社に持ち込まれはしますが、どの出版社からも断られ続けていたそうです。
しかし次第に世界情勢は、反ソビエト思想、反共産主義思想に傾いていきます。
そうした中において、イギリスで1945年に出版され、多くの反響を得ました。
その翌年にはアメリカでも出版されて、世界的に人気を得ていくのです。
3.ユートピア小説とは
この小説では、動物たちが夢に描いた「人間の去った世界=ユートピア」が現実に直面する状況を描いています。
著者のジョージ・オーウェルは他にも「1984年」という、これは「ユートピア」とは反対の意味である「ディストピア」という理想郷とは逆の世界についての問題作を書いています。
ジョージ・オーウェル以外にも、「太陽の都」「ガリヴァー旅行記」「愛の新世界」「2440年」など多くのユートピア小説が書かれています。
何故、ユートピアは小説として題材となることが多いのでしょうか。
それは、究極の理想郷について小説として書くことで、私たちの住んでいる社会の現実が内包する様々な問題点を顕わにしてくれるからではないでしょうか。
4.映画化
この小説の映画化としては、1954年にイギリスのハラスとバチェラー(H&B)がアニメーション化した映画「動物農場」が有名です。
日本では、つい最近である2008年にやっと公開されたらしいです。
その後2009年にDVD化もされています。
公開当時のイギリスでは、第二次世界大戦が終わり、冷戦を迎えようとしているという緊迫した状況でした。
そんな状況下で、子ども向けのアニメーションではなく、大人向けのアニメーションとして作られました。
それが理由なのか、商業的には失敗作だったそうです。
しかしそれが時代を経て、今なお公開されて話題になっています。
それは、弱者から搾取する社会の仕組みというものが、実はオーウェルの描いたような共産主義の世界だけではなくて、資本主義の社会においても今なお解決していない問題なのだということの証左です。
5.ピンクフロイドの動物農場
有名なプログレッシブ・ロックのバンド、ピンクフロイドに「アニマルズ」というアルバムがあります。
実はこれもジョージ・オーウェルの「動物農場」を題材にとった作品です。
このアルバム作品では、エリート・ビジネスマンが犬、資本家が豚、平凡な労働者が羊に例えられています。
アルバムのジャケット写真に使われている空を飛ぶ豚は、彼らのトレードマークとしても有名です。
この豚も元はというとオーウェルの小説から着想を得たものだったのです。
6.動物が主人公の小説
この「動物農場」のように動物が主人公の小説にはどのようなものがあるのでしょうか。
絵本や児童文学などではたくさん見受けられますが、成人向けの小説にはなかなか見当たらません。
日本ではまず思い浮かぶのは夏目漱石の「吾輩は猫である」です。
海外文学では、ポール・オースター「ティンブクトゥ」などもあります。
やはりその中でもこのように動物が主人公でありながら、社会派な題材をとっているのは「動物農場」の他には見当たりません。
その特殊性は今でもなお健在です。
いくつもの意味で特殊性を持つ、「動物農場」に触れてみよう
動物たちはどんな理想郷を望んだのでしょうか。
動物たちの話す言葉が、まるで人間である私たちからの言葉であるように錯覚し始めます。
そんな時、現実の世界のあまりに皮肉な現状が、痛烈に響いてくるのではないでしょうか。
ジョージ・オーウェルの時代から半世紀以上が過ぎてはいますが、まだ彼の皮肉めいた社会への警笛は、生き続けているように思います。