会社の友人は定年後は雲散霧消
定年後にまったく友達がいなくなり、しかも家庭にも居場所がない、いつも一人外で過ごしている男は多い。
定年後シニアの特に男性の生活は見た目寂しいものだ。しかし、まあ、孤独に向き合い、じっくりと素の自分と付き合うことができると思えば、それも良し。
会社時代の友人との人間関係は定年になるとゼロ化する。今までは会社という同じ場所に生息していたから、いろいろな関係があったものの、離れてしまい、利害関係が無くなったら雲散霧消する。
この人間関係というものの仕方のない現実を、あらためて考えたい。
友人関係はそのとき限りのもの、たまたま一緒に電車に乗り合わせた人たち
私も小中高大学と、結構友人関係には悩んだものだった。なにしろ、毎日学校には行かなくてはならないし、しかもそこに一日中いなくてはならない。学校はまるで牢獄みたいだった。
一人遊びが好きだった私は学校のクラスで何人かの友達を得た。お互い本や漫画がが好きだったり、昆虫が好きだったりした穏やかな性格の友人だ。しかしほとんどのクラスメイトたちとは、たまたま電車に乗り合わせた他人みたいな関係だった。
夏休みや冬休みのような長期間の休みほど、気楽なものは無かったように思う。また学校が始まる新学期などは、二度と来なければ良いのにと思っていたものだ。
ただ、今、60歳を過ぎた私がつくづく思うのは学校の級友との人間関係は、ただその時限りのものだということだ。もちろん仲が良い友達が多い方が学校生活は楽しいだろう。
しかし、学校は、小学校、中学校、高校、大学とその人の努力や持って生まれた資質で行くところが変わる。しかも、学校の中でもクラス替えがある。つまり、付き合う級友も数年単位で変わっていくのが普通だ。
一生を考えると、同じ級友と過ごす時間のイメージは団体旅行で同じ電車に乗って移動する時みたいなものだろう。
学校の中での人間関係はたまたま一緒に電車に乗り合わせた人たちとの人間関係に似ているのだ。できれば、お互いににこやかにその時限りの挨拶をし、できれば一緒に良い体験をし、さっさと別れていく。
人間関係で大事なのは、いま自分の周りにいる人たち
一番大事な人間関係は、今、自分の周りにいる人たちとの人間関係だ。定年後の男性であれば、町内会や自治会で出会う人々、毎日行く図書館の司書、いつも図書館で出会う人々、書店やショッピングセンター、家電量販店や喫茶店の店員の方々などなど。この毎日出会う人々とのちょっとした言葉の交わし合い、挨拶が大事な関係だ。
身の回りの人間関係はどんどん変化していく。青春時代の熱い思いで交流した高校・大学時代の友人達も、今やそれほど大事な存在ではなくなっている。
それよりも妻や子ども、要介護になった両親、町内会や自治会の人々、出歩き先の店員さん達のとの人間関係のほうが、定年後のシニアにの生活には重要だ。
現役のサラリーマンたちは目の前の仕事に忙しい。定年後のシニアがそのかつての職場の同僚や部下たちに人間関係を求めるのには、無理がある。人間関係や友人関係はその時々で変わっていくのが至極まっとうだ。
しかも、よくよく考えてみれば、自分の人生で本当に重要な人間関係は両手で数えるくらいが実際だ。その人達だけ大切にし、笑顔で接していれば、毎日が少し幸せになれるはずなのだ。