定年後に読む『沈黙 』遠藤 周作(著)でキリスト教に救われる!?

最終更新日:2017年9月25日

遠藤周作の長編小説「沈黙」は、2016年にマーティン・スコセッシ監督で映画化されたことで再評価が高まっています。

今から50年以上も前に書かれた小説ですが、作品の価値は21世紀の現在でも色褪せていません。

1.キリスト教文化圏でも反響

遠藤周作は昭和の戦後を代表する作家の1人で、ノーベル文学賞候補にも名前が挙げられていたほど高い国際的評価を得ていました。

狐狸庵山人の雅号で知られる軽妙なエッセイでも人気を博した遠藤周作が、生涯にわたって小説のテーマに取り上げてきたのがキリスト教の信仰に関する問題です。

カトリック信者でもあった遠藤周作は、日本人がキリスト教徒であり続ける困難を小説の中で追求してきました。

昭和41年に純文学書き下ろし特別作品として出版された「沈黙」は、そんな遠藤周作の代表作と評価されている長編小説です。

江戸時代のキリシタン弾圧を題材とするこの作品は13ヶ国の言語に翻訳され、キリスト教文化圏の側からも大きな反響を呼びました。

日本へ布教に訪れた司祭が弾圧を受けて棄教に至るという衝撃的な筋書きのため、カトリック教会からは反発を招いた経緯もあります。

一方で「沈黙」はキリスト教信仰の深い精神性も追求されており、昭和期を代表する名作の1つにも数えられています。

2.多彩な文体を使い分けた構成

「沈黙」の舞台は島原の乱が鎮圧された直後の江戸時代初期で、主人公はポルトガルの若き司祭セバスチャン・ロドリゴです。

キリシタン弾圧が激化する中、ロドリゴたち3人の司祭は布教活動のため日本への密入国を試みます。

作品の全体は大きく4つの部分に分けられますが、それぞれの部分に異なる文体が用いられている点も「沈黙」の特徴です。

まずは「まえがき」で彼らの恩師・フェレイラが厳しい弾圧に屈し、棄教したという報告に関する記述がノンフィクション的に記されています。

続く4つの章はですます調で書かれたロドリゴの書簡で、密入国後の生活が一人称を通して綴られています。

布教への情熱に溢れた若き司祭の心情が伝わってくるこの書簡部分から一転して、以後の章では三人称による小説らしい文体でロドリゴが次第に追い込まれていく過程が描かれます。

末尾に付された「切支丹屋敷役人日記」では文語体の候文が使われ、棄教したロドリゴの後日談が淡々と記されています。

3.キリシタン弾圧の時代背景

主人公ロドリゴにはジュゼッペ・キアラという実在のモデルが存在します。
作中でのロドリゴはポルトガル人の設定ですが、ジュゼッペ・キャラはイタリア出身のイエズス会宣教師です。

彼も実際に日本へ潜入しながら捕らえられ、厳しい拷問に屈した後は岡本三右衛門の日本名を与えられて幕府の監視下に置かれた末、83歳で亡くなりました。

「沈黙」はこうした史実を下敷きに、同様の運命をたどったポルトガル出身のカトリック宣教師クリストヴァン・フェレイラなど実在の人物を配した歴史小説です。

島原の乱が鎮圧された直後は、将軍・徳川家光がキリシタン弾圧を徹底的に強化した時代として知られています。

そんな時代に日本への密入国を試み、隠れて信仰を守っている信者たちを探して布教活動を続けようとしたロドリゴたちを待ち受けていたのは過酷な運命でした。

「沈黙」には苛烈な拷問の場面なども登場しますが、それらの拷問は主として日本人信者に加えられる一方、ロドリゴに与えられるのは心理的脅迫が中心です。

4.サスペンスと劇的展開

昭和期に書かれた歴史小説と聞けば、このジャンルに親しんでいない読者にとっては取っつきにくい印象を受けがちです。

しかしながらこの「沈黙」は外国人の視点で書かれているため、江戸時代を舞台とした小説のわりには読みやすい文章だと言えます。

現代人が江戸時代にタイムスリップした設定に近い感覚で当時の日本が描かれているため、キリスト教に関する最低限の予備知識を持つ人なら抵抗なしに読み進められます。

中でも一番の読みどころは、ロドリゴがキリスト教の信仰を捨てるよう何度も迫られながら内心の葛藤と戦う場面です。

時代劇のような立ち回りのアクション場面こそありませんが、主人公の克明な心理描写と劇的な展開による手に汗握るサスペンスは十分に読み応えがあります。

外国人の聖職者が主人公とは言え、キリスト教信者でない日本人でも主人公に感情移入することは容易です。

5.キリスト教に関する予備知識

遠藤周作の最高傑作と評価されている「沈黙」を読み解くには、キリスト教の神という問題をどうしても度外視できません。

キリスト教に関する予備知識や、キリシタンに関わる特殊な用語の意味を事前に知っておけばストーリーにも自然と入りやすくなります。

信徒たちが悲惨な目に遭っているのに神が沈黙したまま彼らを救ってくれないことから、主人公のロドリゴは何度も信仰の危機に直面します。

こうした苦悩もキリスト教をある程度理解していた方が、読み手も主人公に寄り添って切実に感じられるものです。

「沈黙」ではキリストに対するユダの裏切りがテーマに内在されており、この関係性はロドリゴに付きまとうキチジローの存在に託されています。

キチジローは内心でキリスト教を信仰しながらも、心の弱さゆえ弾圧に屈し、ロドリゴも裏切るような人物です。

卑屈なキチジローをロドリゴは憎みますが、同じ弱さを自身の中にも発見したことが救いを得るきっかけとなります。

教養としてキリスト教を学ぶきっかけにもなる「沈黙」

「沈黙」はキリスト教に関する教養を持っていた方が味わい深く読めます。

予備知識のなかった人でも、この作品がきっかけでキリスト教に関心を持つようになった例は多いものです。

内心の自由に関する議論が熱を帯びてきているように、現在にも通じる問題を投げかけた宗教文学の名作として「沈黙」には時代を越えた価値があります。