定年後に読む『春の雪―豊饒の海 』三島由紀夫(著)で輪廻転生の真実に目覚める

最終更新日:2017年9月26日

「金閣寺」などの作品で知られる文豪の三島由紀夫は、絢爛豪華な文体を駆使して独自の美意識に基づく小説世界を構築してきました。

「春の雪」は三島文学の最高峰として評価された「豊饒の海」4部作の第1巻を飾る長編小説です。

1.三島文学の総決算

「仮面の告白」で戦後文壇に衝撃を与えた三島由紀夫は、以後も数々の問題作を発表してきました。

不倫や同性愛など良識派には不道徳と言われるような題材も多く取り上げながら、そうしたテーマを緻密な構成と華麗な文章表現で芸術に昇華させた点が三島文学の特徴です。

そんな三島由紀夫は作家生活の総決算に、「究極の小説」としての大長編を執筆しようと昭和35年頃から構想を温めてきました。

この構想が「豊饒の海」4部作として結実することになりますが、第1巻「春の雪」は構想着手から5年後の昭和40年に執筆が開始された作品です。

翌41年まで文芸雑誌に連載された「春の雪」を皮切りに、以下第2巻「奔馬」第3巻「暁の寺」と書き続けられていきます。

最終巻「天人五衰」が完結した直後の昭和45年11月に作者・三島由紀夫は有名な割腹自殺を遂げたため、この「豊饒の海」4部作は彼にとって文字通りの絶筆となりました。

2.華族の男女の悲恋物語

「豊饒の海」は「浜松中納言物語」に触発されたことが構想のきっかけと言われており、輪廻転生が重要なテーマとなっています。

その劈頭を飾る「春の雪」は華族の青年・松枝清顕を主人公として、彼と2つ年上の伯爵家令嬢・綾倉聡子との悲恋物語が展開される長編小説です。

主人公は幼馴染の聡子に対して恋心を抱きながらも、自尊心の高さゆえにその感情を素直に表現することができません。

聡子も主人公を慕っていながら彼の態度に失望し、洞院宮治典王殿下との婚約を承諾します。

聡子を失うことを恐れた主人公の恋情が燃え上がり、2人は密会を重ねた末に聡子の妊娠が発覚してしまいました。

堕胎後に出家した聡子は主人公との面会を頑なに拒み、絶望した主人公は20歳の若さで亡くなります。

2人の密会を手助けした主人公の親友・本多繁邦は「豊饒の海」第2巻以降も年齢を重ねた姿で登場し、松枝清顕の生まれ変わった人物たちと次々に関わっていくことになります。

3.絢爛たる文体に酔う

「豊饒の海」そのものは大正初期から昭和50年に至るまでの長い歴史を舞台背景として展開される大河小説で、第1巻「春の雪」は大正初期が主な舞台です。

主人公の松枝清顕は勲功華族で彼の恋い慕う聡子は家柄が高い堂上華族という違いはありますが、主人公は幼少時代に聡子が暮らす綾倉家に預けられていました。

明治から大正初期にかけての華族の暮らしぶりがこの小説に華を添えており、作中に登場する会話にも貴族らしい優雅さが漂います。

大正初期という近代でありながら、平安時代の王朝物語を読むような感覚が味わえる点もこの作品で見逃せない魅力の1つです。

日本文学を代表する文豪の中でも三島由紀夫は文章の達人として名高く、推敲に推敲を重ねた日本語の表現は芸術の域に達しています。

三島由紀夫は語彙を増やすために国語辞典を精読したと言われるほど言葉を重視した人です。

「豊饒の海」シリーズでも絢爛たる言葉の数々が駆使されており、日本語の美しさを味わう読書体験が得られます。

4.輪廻転生に基づく壮大な構想

三島由紀夫も谷崎潤一郎や川端康成と同様に日本の伝統文化を心から愛し、古典文学作品に親しんできました。

「豊饒の海」シリーズが誕生するきっかけとなった「浜松中納言物語」は平安時代後期に書かれた王朝物語の1つで、作者は不明ですが「更級日記」を書いた菅原孝標女とする説もあります。

「源氏物語」の影響を色濃く受けながらも、「浜松中納言物語」を特徴づけているのは超自然的な要素です。

夢のお告げや輪廻転生といった不可思議な体験は「豊饒の海」シリーズにも受け継がれ、作中で重要な役割を果たします。

第1巻「春の雪」で夭折する主人公の松枝清顕は第2巻「奔馬」では愛国青年の飯沼勲として生まれ変わり、第3巻「暁の寺」に登場するタイの王女・月光姫も彼の転生した姿です。

そうした生まれ変わりの証人を演じる親友の本多繁邦に第4巻「天人五衰」まで狂言回し的な役割を与えることによって、この壮大な構想を持つ大河小説に一貫性が与えられているのです。

5.死後も滅びない文学的価値

ノーベル文学賞候補に名前が挙げられるほど国際的にも高く評価された三島由紀夫は、昭和45年11月25日に自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げました。

世間に大きな衝撃を与えたこの三島事件の真相をめぐっては様々な解釈がされてきましたが、事件が「豊饒の海」完結編の「天人五衰」を入稿した直後だったという事実は象徴的です。

スキャンダラスな最期にも関わらず、三島由紀夫が残した名作の数々は平成の今も価値を失っていません。

三島文学の頂点に位置する「豊饒の海」シリーズもまた、作者の死後長きにわたって読み継がれてきました。

その第1巻「春の雪」は、三島由紀夫が到達した文学の高みを探索するのに格好の1冊です。

「金閣寺」や「潮騒」といった人気作品で三島作品の魅力を味わった経験を持つ人なら、「春の雪」を読むことで読書の楽しみを窮め尽くすことができます。

「春の雪―豊饒の海」は偉大な文豪が現代の読者に残してくれた不滅の文学遺産です。

「春の雪」を読んだら、残る3巻にも挑戦してみよう

「豊饒の海」4部作の中でも大正初期の華族界を舞台とした「春の雪」は、王朝物語の香りが高い名作です。

平安文学の伝統を近代日本という舞台に甦らせた「春の雪―豊饒の海」は、50年以上経った今も執筆当時の輝きを失っていません。

この第1巻に魅了された読者は、「豊饒の海」の残る3巻も読まずにはいられなくなるものです。