定年後に読む『銀の匙 』中 勘助(著)で子供の頃の思い出が甦る

最終更新日:2017年9月26日

中勘助の小説「銀の匙」は、有名進学校の伝説的国語教師が教材に取り上げていたことでも知られています。

子供の世界を繊細な感性で描いたこの名作は、文庫版が累計100万部以上を売り上げるほど長く親しまれてきました。

1.夏目漱石も絶賛した名作

それまで文壇でも無名の存在だった中勘助が、「銀の匙」で知られるようになったのは大正に入って間もなくのことでした。

中勘助は明治43年に「銀の匙」の前編を執筆し、これが師匠の夏目漱石の目にも触れることになります。

漱石はこの作品の持つ類まれな価値を発見してこれを絶賛し、大正2年には東京朝日新聞の連載に推挙しました。

大正4年には後編が同紙に連載され、後年になって前編と後編を合わせた「銀の匙」として出版の運びとなったのです。

タイトルの由来は前編の最初の数章で語られる銀の小匙のエピソードによります。

「私」が小箱にしまい込んでいたその小匙は、「私を育てるのがこの世に生きてる唯一の楽しみであった」という優しい伯母さんが「私」に薬を飲ませるのに使っていた品でした。

生まれつき病弱だった「私」にとって、伯母さんは溢れるような愛情を降り注いでくれる温かい存在だったのです。

2.子供時代の思い出を綴った自伝小説

このように「銀の匙」は、作者・中勘助が自身の幼少時代から少年時代にかけての日々について書き綴った自伝小説です。

前篇は全部で53の短い章を集める形で構成されており、その後半には「私」も学校へ上がるようになります。

22の章から成る後篇は「私」の17歳までの日々が描かれ、兄との確執や美しい女性との出会いといった出来事が独自の繊細な筆致で綴られていきます。

子供時代の体験が中心だった前篇と比べ、十代の日々を描いた後篇は自意識の強い少年として成長しつつある「私」が主役です。

後篇の方がより小説らしい文章と言えますが、まだひ弱で頼りなかった幼少時代を描いた前篇に親しみを覚える読者も少なくはありません。

子供時代の思い出を綴った自伝小説の中でも、「銀の匙」がこれほど長い間にわたって愛読されてきたことには理由があります。

3.子供の体験を子供の視点で描く

岩波文庫版の「銀の匙」には、哲学者の和辻哲郎が昭和10年に書いた解説が併録されてきました。

和辻哲郎はこの作品を称して、「それはまさしく子供の体験した子供の世界である」と書いています。

子供時代の体験は他の作家も数多く自伝的小説に書いてきましたが、たいていは大人が子供時代を回想した視点から書かれているものです。

文学的素養を身につけた大人の視点から子供時代の思い出を語ることで、芸術作品としての小説が成り立つような面もあります。

しかしながら中勘助はそうした大人の視点というフィルターを介さずに、あくまでも子供の視点から「銀の匙」を書きました。

書いた本人にそうした意図があったかどうかはともかくとして、結果的に子供の体験が子供の体験そのままに作中で生き生きと描かれているのです。

他の作家がなし得なかった種類の作品を世に送り出すことができたのも、中勘助という人の持つ特異な資質に由来します。

4.誰の影響も受けずに創作

中勘助は漱石門下生の1人として第一高等学校時代から東京帝国大学時代を通じて漱石の教えを受け、漱石山房にも再三にわたって足を運んでいました。

漱石その人や門下生の作家から文学的刺激を受けてしかるべき環境に身を置きながら、中勘助は文壇から常に距離を置いていた孤高の人です。

もともと小説には関心を持たず詩人を目指していた中勘助ですが、自身が表現しようとする題材を詩ではなかなか書けず、散文の形で表現しようと試みたのが「銀の匙」でした。

他の小説家から一切影響を受けずまったくの自己流で書いた「銀の匙」が、既存するどの作品とも似ていなかったのは当然と言えます。

以後も中勘助は独自の作風を貫き、我執や嫉妬をテーマとした「提婆達多」「犬」などの小説や「沼のほとり」などの随筆を残しました。

そうした作品群の中でも「銀の匙」は名作中の名作として、発表から100年以上を経た今もなお多くの読者に読み継がれているのです。

5.明治時代の情景も新鮮

「銀の匙」は明治18年に生まれた中勘助の幼少時代から十代の頃までの思い出について書かれた自伝小説ですので、その時代背景も明治中期頃に当たります。

平成の現在からすれば100年以上の昔の話とあって、若い読者には親しみにくい言葉や生活様式の描写も少なくありません。

今の時代に「銀の匙」を読むのに障害があるとすればそうした時代の壁の問題ですが、時間をかけて読み解いていけば当時の情景も目に浮かぶようになるものです。

辞書やインターネットなどの助けも借りながら想像力を養いつつじっくりと「銀の匙」を読むことによって、明治の情景が活字の向こう側に見えてくるはずです。

前述の伝説的国語教師も教科書の代わりに「銀の匙」を3年間かけて生徒に精読させ、主人公の心情まで追体験させる授業を実践していました。

特にシニア世代の人にとってはこうした明治の風物も若い人より親しみやすく、追体験できるようになるまでの時間も短く済むものです。

子供の頃の思い出を蘇らせてくれる「銀の匙」

子供時代の思い出は誰でも持っていますが、当時の記憶は時間とともに薄れて細部も曖昧になるのが普通です。

記憶の欠落部分を大人の視点で補わず、子供の感性のまま鮮やかな体験として言葉に残した「銀の匙」は奇跡の名作とも言えます。

このような作品は読み手の記憶にも働きかけ、忘れていた思い出を甦らせてくれるものです。