定年後に読む『対岸の彼女 』角田 光代(著)で女性の悩みや友情、心情をを理解する

最終更新日:2017年9月26日

友情をテーマとした小説と言えば男同士の友情物語が大半で、女同士の友情は小説の題材になりにくいと考えられていました。

時代は移り変わり、現在では角田光代「対岸の彼女」に代表される傑作小説も増えています。

1.直木賞を受賞した女同士の友情物語

2004年に出版されて第132回の直木賞を受賞した「対岸の彼女」には、3人の女性が登場します。

主人公は幼い一人娘を育てる主婦の小夜子ですが、女同士の友情が描かれる相手は旅行会社の女社長・葵だけではありません。

その葵が高校時代に親しくしていたナナコも作中で重要な役割を果たしています。

脆くて崩れやすい女同士の、恋愛にも似た友情の危ういバランスが、葵を軸としたストーリーの中で現在と過去を行き来しながら展開します。

直木賞選考会でこの作品は、「自由奔放に行きつ戻りつしているようで緻密に計算されている構成」(平岩弓枝選考委員の評)などの点が高く評価されました。

恋愛小説の達人として知られた渡辺淳一選考委員も「新しい女性小説」としてこの作品を支持しており、作者にとっては二度目の候補で直木賞を射止める結果となったのです。

2.視点の切り替えで過去と現在を行き来

3人の女性を主要な登場人物する「対岸の彼女」は、章ごとに主人公の小夜子と女社長の葵の視点が入れ替わる特徴的な構成を取っています。

しかも小夜子視点の章は現在時制で書かれているのに対し、葵視点の章では彼女の高校時代が描かれます。

現在と過去を交互に往復する複雑な章構成に挑んだこの意欲作は、視点切り替えの手法によって1人の女性の人生を重層的に描き出すことに成功しました。

表の主人公は主婦の小夜子ですが、35歳で独身の女社長・葵がもう1人の主人公としてこの作品をがっちり支える骨格を形作っているのです。

葵の高校時代に親友だったナナコは過去時制の章にしか登場しない一方で、高校時代の葵とは異なる現在の彼女の性格にナナコの影が反映されています。

読む進める中で葵が現在と過去で性格が変化している点に違和感を覚えていた読者も、彼女が思春期時代の親友にどれだけ大きな影響を受けてきたかを考えれば腑に落ちるものです。

3.女社長の過去に秘められた謎

言うまでもなく1人の人間というのは現在だけに生きているのではなく、過去にさまざまな経験をしてきたことで現在の内面が形作られています。

「対岸の彼女」では現在時制の章と交互に入れ替わりながら葵の過去が徐々に明かされていくという、ミステリーにも似たストーリー構成を持つ点が大きな特徴です。

非社交的だった彼女自身の性格から来る人間関係の悩みや子育ての問題が冒頭から展開されますが、主人公はそこから一歩踏み出す勇気の持ち主でもあります。

その勇気が就職活動を通じて女社長の葵と出会うきっかけを生み、彼女の人柄に主人公が強く惹かれていくことにつながっていくのです。

この小説で最大の読みどころはむしろ、高校時代の葵と親友のナナコとの友情を描いた部分にあります。

複雑な家庭事情を抱えて学校でも無視されるようになったナナコに対し、学校の外で葵は交友を深めていきます。

夏休みに2人でペンションのアルバイトをした楽しい日々と、その後に待ち受けていた事件が葵の人生を大きく変えることになります。

4.安定した文章力に定評

女性の心情を描く手腕に定評のある角田光代は1990年に海燕新人文学賞を受賞し、その後も3回にわたって芥川賞候補に挙がりました。

当時は主に純文学の分野で活躍していましたが、その後はジュニア小説の分野からエンターテインメント小説の分野へと作風を広げていきます。

2003年には「空中庭園」で直木賞候補となり、翌年に書いた「対岸の彼女」で受賞に至った経緯は前述の通りです。

作者は作家生活の初期に純文学作品を多く書いてきたことで文章力を磨き、エンターテインメントの分野に進出後も安定した筆力で女性読者の支持を集めていきます。

こうした力量は同業者とも言える先輩作家にも広く認められ、以後も数々の文学賞で選考委員に高く評価されてきました。

川端康成文学賞を受賞した「ロック母」や中央公論文芸賞受賞作の「八日目の蝉」の他、「ツリーハウス」では伊藤整文学賞を、「紙の月」で柴田錬三郎賞、「かなたの子」で泉鏡花文学賞をそれぞれ受賞しています。

5.女性の心情を代弁

男性にはなかなか理解しにくい女性の心情を代弁するような小説を得意としてきた作者らしく、「対岸の彼女」は30代女性の内面に深く切り込むテーマを追求した小説です。

30代の「今」を生きる主人公の小夜子と女社長の葵にも、それぞれ現在の性格に大きな影響を与えてきた過去があります。

高校時代にクラスメイトから疎外された暗い経験を持つ小夜子は、子供を持つ母となった現在も人間関係が苦手な性格を引きずっています。

同様に幼少時代からいじめを経験した葵は、高校時代に出会った親友のナナコから強く影響を受け、大学時代からはむしろ社交的で行動的な性格に生まれ変わりました。

そんな葵と大人になってから出会った小夜子も、紆余曲折を経て自分自身を変えようと足を踏み出すのです。

遠い存在だった「対岸の彼女」に近づこうと歩み始めた主人公・小夜子の決意は、読者に大きな勇気を与えてくれます。

息詰まるような閉塞感から抜け出そうとするような結末も含め、「対岸の彼女」は今の時代を生きる女性を応援する小説でもあります。

女性同士の友情を描いた「対岸の彼女」

登場人物の大半が女性たちで構成される「対岸の彼女」は幅広い世代の女性が読むのに適した小説ですが、男性であっても女性に対する共感を得るきっかけとなり得る作品です。

男同士の友情だけが友情物語でないという事実を小説の形で広く知らしめたこの作品は、女性を理解したい男性にとっても重要なヒントを与えてくれます。