働き盛りの中高年。
生活の安定はあっても、若いころより疲れやすく、体調不良を日々感じるようになってくる年代ですよね。
一度立ち止まってゆっくりできたら、と思うものの、仕事も家庭も責任はあるし、忙しいし、なかなか余裕がない…そんなあなたに「イン・ザ・プール 」はオススメの一作です。
読み終わった後には、あなたの身体も心も少し軽くなっていると思います。
1.作品のあらすじ
三十八歳、出版社勤務の大森和雄は、突然の呼吸困難に始まり、下痢や内臓の不快感など体調不良が1か月も続いています。
病院で診てもらっても原因不明のため、半ばたらい回しのような形で、内科の医師より同じ総合病院の地下1階にある神経科の受診をすすめられます。
そこにいたのが見た目も言動もおおよそ医者らしからぬ伊良部一郎でした。
体調不良で気の弱っている和雄にいともあっさり「ストレス性の心身症」と簡単に診断し、鼻くそをほじりながら。
「運動はしたほうがいいかな」という伊良部のアドバイスを受けて、とりあえず水泳を始めてみます。
ところが、体調改善のために始めた水泳だが、泳いだ後の充実感から異常にはまってしまい、1日1回の水泳ではあきたらず1日2回の水泳となり、やがては妻を心配させるほどの依存状態になってしまいます。
ついには泳げないと禁断症状まで出ているのにも関わらず、休憩時間をはさまず連続で何時間も泳ぎたいという欲望にかられ始め、和雄は絶対に話に乗らないぞと思っていたのに伊良部のとんでもない計画に乗ってしまいます。
2.作品のみどころ
「ストレス性の心身症」などと診断されると誰でもショックを受けることと思います。
これは治るのだろうか、身体の不調をきたすほどのストレスは何だろうか、と悩んだりするかもしれません。
しかし、伊良部にかかると心身症も「中年のハシカみたいなもの」と軽く言われ、ストレスの元を探しても無意味だと言います。
「いやな上司がいても、毒でも盛る勇気なんてないでしょう」、「ストレスなんてのは人生についてまわるもの」という伊良部の言葉には、その通りだ、と気が付く自分がいるのではないでしょうか。
また、水泳依存症になったことに気が付いた和雄が心配していても、伊良部は「アルコール依存症じゃないだけラッキー。水泳だと身体も引き締まるし」と軽く言ってのけます。
最初、転院も考えていた和雄ですが、読者も和雄と一緒にいつの間にか伊良部のいい加減さや軽さに慰められることに気が付くことでしょう。
また和雄や伊良部以外の人物描写も丁寧で、今作でも著者の人間の観察眼が冴えています。
女性読者なら和雄の妻の心情になって読み進めてしまうかもしれません。
和雄が誰しも一度は診断されそうな「ストレス性の心身症」を克服した課程は、決して現実的ではありません。
しかし、小説にありがちな「ありえない」感は感じず、「これはありだな」と読後は爽快な気持ちになります。
3.精神科医・伊良部について
「イン・ザ・プール 」は著者 奥田英朗作品の代表の一つともいえる精神科医・伊良部シリーズの第一作目にあたります。
病院のドアをノックすると「いらっしゃーい」と呼びかけ、患者の和雄に「コーヒー、飲む?」といきなり話しかける伊良部に、和雄だけでなく読者もまた面食らってしまうことと思います。
見た目も太っており、和雄の目の前でほじった鼻くそを壁になすりつけたり、診察の度に注射をされるのは伊良部が注射フェチだったり、警察につかまるよりお母さんにしかられるのが怖かったり、と常識的な医者どころか、常識的な人間では決してありません。
患者への接し方も相手の気持ちを思いやったり、計算があったりするわけではなく、どこまでも自分の欲望のままに行動する伊良部ですが、くよくよすることがなく、作品を読むにつれて、生き方が少し羨ましくも感じます。
そして「この医者に会ってみたいかも」と思い始めることと思います。
また、伊良部の元にいる看護師も茶髪で若くやたらと太ももや胸元を見せてくる露出狂と、これまた常識外の設定になっており、作品に色を添えています。
精神科医・伊良部シリーズはこれまでに14作発表され、映画化、ドラマ化、舞台化されており、韓国でもドラマ化されています。
「イン・ザ・プール」は、株式会社文藝春秋発行の月刊小説誌「オール讀物」2000年8月号に掲載され、第127回直木賞候補になりました。
その後、精神科医・伊良部シリーズの「空中ブランコ」が第131回直木賞受賞作を受賞しました。
「イン・ザ・プール」は実に15年以上前の作品ですが、まったく古さは感じず、特に働き盛りの人なら共感できる作品です。
なんとなく日常がしんどく感じる時、難しいことは考えずにスッキリしたい時、ぜひ「イン・ザ・プール」を読んでみて下さい。
これからのあなたの人生の感じ方も変わるかもしれませんよ。