「タモリ」は誰の弟子にもならず、組織に属さず、頭はなるべく下げず、モットーは持たないシニア芸能人

最終更新日:2017年11月1日

数々の人気番組で活躍中のタモリさんは、若く見えますが1945年生まれのなんと72歳。

とてもそんなお年には見えませんね。

あの若々しさの秘訣は、実は彼がこれまでに辿ってきた芸能生活に隠れているのかもしれません。

1.密室芸人と呼ばれた時代

タモリさんの芸能界入りのきっかけは、福岡のホテルの一室でジャズピアニストの山下洋輔さん一行が夜中に行っていた乱痴気騒ぎに参加したことでした。

早稲田大学時代からモダンジャズのサークルで活動していたタモリさんは、ジャズマンたちの常軌を逸した騒ぎに見事にアドリブで対応。

以来「福岡の伝説の男・モリタ(本名)」という噂が業界で広がったのです。

郷里の福岡で働いていたタモリさんは、その出会いをきっかけにたびたび上京するようになります。

「ハナモゲラ語」「四か国語麻雀」「宣教師の説教」「ラジオの北京放送」など。

それまでの笑いの世界には無かった特殊な物真似が得意でした。

新宿ゴールデン街の常連文化人たちの間でそれらの芸が絶賛されたことで「密室芸人」と呼ばれるようになり、話題はますます高まりました。

多くの著名人の記憶に残る中、彼の人生を決定づける人物と出会います。

それが漫画家・赤塚不二夫さんです。

2.お茶の間の顔となる前後

タモリさんと笑いの趣味がぴったり合った赤塚不二夫さんは、「福岡に帰したくない」と東京の自分のマンションで生活させました。

その後、所属プロダクションも決定し、テレビへの露出が増え始めます。

当初は飲み屋で培われた芸と笑いだったことで「夜の芸人」と呼ばれました。

事実、ネタもイグアナの形態模写などグロテスクな表現だったり、毒舌や下ネタ発言が多かったりして、あまりゴールデンタイム向けの芸風ではありませんでした。

そのうち、NHKに出演し、ラジオで帯番組を担当するようになってからは徐々に大衆向けの芸風にシフトし始めました。

そしてついに1987年10月、フジテレビで「笑っていとも」のメインMCを担当することとなりました。

当時まだまだ密室芸の香りを残していたタモリさんが、まさかこのあと31年半も続く長寿番組になるとは、日本中の誰も思わなかったはずです。

3.トークの技術と慕われる人柄

「笑っていいとも」で担当したレギュラーコーナー「テレホンショッキング」では、芸能界から文化人まで、様々なジャンルのゲストを招いてトークに花を咲かせました。

タモリさんの「自分の色を押し付けない話術」はトーク番組の見本のようなスマートさはお茶の間にも好評で、これが「お昼の顔」を31年半続けられた理由の一つにも挙げられました。

それと同時に、「テレホンショッキング」に出演した音楽業界の人脈は、その後MCを担当する「ミュージックステーション」(テレビ朝日で1986年スタート)にも生きています。

世代の違う若いミュージシャンやアーティストたちが、気軽に「タモさん、タモさん」と慕って来ることができるのも、タモリさんの度量の広い人柄があればこそでしょう。

4.人気タレントとしての異質な生き方

「笑っていいとも」が2014年3月31日をもって最終回を迎えたあとのタモリさんは、この時69歳でした。

普通のピークを過ぎたタレントならば、やり遂げた感を満喫しつつ隠居生活に入ってしまいそうなところですが、タモリさんはここからさらに芸域が広くなります。

「いいとも」とほぼ同時期にスタートした深夜番組「タモリ倶楽部」(テレビ朝日)では、最近は趣味の鉄道や船舶、地学、音楽、料理など、自分の趣味を前面に扱った企画内容を楽しんでいます。

またNHKの「ブラタモリ」では、日本全国を歩きながら町の歴史を発見するという一風変わった街ブラロケを行っています。

どちらも「テレホンショッキング」の時と同様、自分は出しゃばらず、番組の企画自体の色を引き立てる役に回っていながら、それでいて存在感を示すという、かなり異質な立ち位置をキープしています。

こんなスタンスで40年以上芸能生活を続けられるのは、あとにも先にもタモリさんだけでしょう。

5.無理せず生きるというスタンス

ジャズ好きだった福岡の一人の男性が、日本の芸能界の第一人者になった秘訣とは、一体何なのでしょう?

それは、タモリさんが芸能界に入るにあたって心に決めた決めごとの中にあります。

それは、「誰の弟子にもならず、組織に属さず、頭はなるべく下げず、モットーは持たない」、というものです。

上京時に世話を受けた赤塚不二夫さんも、師弟関係ではなく、終生「対等の友達」という立場でした。

これは相互の信頼関係あってこそかもしれません。

タモリさんの人生は、天才肌と蓄積が築き上げたもの

今でこそ悠々自適のように見えるタモリさん。

こうして芸能生活を辿ってみますと、天才肌の芸風、多くの人との出会い、この二つの要素が絶妙に融合した結果が「いいとも」の31年半や「ブラタモリ」なのかもしれません。

タモリさんの芸能人生を再現できる人は、恐らく今後現れないでしょう。