「葛飾北斎」はモネやドガ・ゴッホ・セザンヌに影響を与え、掃除や料理をせず画業に専念!

最終更新日:2017年12月26日

「富嶽三十六景」などの作品で知られる江戸時代後期の絵師・葛飾北斎は、世界で最も有名な日本人の画家です。

北斎は江戸時代の人物としては異例の長寿を保ちながら、90年近い生涯の中で膨大な作品を後世に残しました。

1.印象派の誕生にも多大な影響

葛飾北斎は西洋と東洋の架け橋となった画家としても知られています。

19世紀の絵画に革新をもたらし、西洋美術の流れを大きく変えた印象派の誕生に日本の葛飾北斎が少なからぬ影響を与えていたのです。

北斎の影響を受けた画家は後期印象派も含め、モネやドガ・ゴッホ・セザンヌなど多くの巨匠が名を連ねています。

すでに1860年代から独自の活動を開始していた印象派の画家たちは、葛飾北斎を筆頭とする「ジャポニズム」から影響を受けて絵画革新に乗り出しました。

黒船襲来をきっかけに日本の美術作品が西洋へと広く紹介されるようになると、西洋美術の常識にとらわれない斬新な表現に注目が集まったのです。

特に葛飾北斎の浮世絵や「北斎漫画」といった作品は印象派と呼ばれた画家たちに大きな衝撃を与え、20世紀の抽象画にもつながる絵画の潮流を生み出すきっかけとなります。

音楽界の印象派として知られるドビュッシーも、「富嶽三十六景」中の「神奈川沖浪裏」に触発されて交響詩「海」を作曲しています。

2.掃除や料理をせず画業に専念

葛飾北斎は江戸時代後期の1760年に生まれ、1849年に88歳で亡くなるまでに描いた作品数は読本の挿絵も含めると3万点に達すると推定されています。

人生50年と言われた江戸時代の人物としては長寿と言える北斎ですが、その生活ぶりは必ずしも健康に気を遣っていた様子でもありませんでした。

住んでいた部屋は一切掃除せず、散らかると転居を繰り返したため、生涯93回も引越しをしたと伝えられているほど北斎は衛生面に無頓着な人物だったのです。

生前から名声を得ていて相応の収入があったと推定されながら、北斎は家計管理にも無頓着だったためむしろ赤貧に近い生活ぶりでした。

晩年の北斎は出戻りの娘・お栄と2人で暮らしていましたが、彼女も父親譲りの性格で掃除や料理を一切せず、来客にお茶を出すのも隣家の小僧にやらせていたというほどの無精ぶりだったという逸話が残されています。

3.火事で写生帳をすべて失う悲劇から再起

住む場所にも衣服や食事にも無頓着だったため奇行ぶりを伝えるエピソードには事欠かない葛飾北斎ですが、そういった点は天才芸術家にしばしば見られる傾向です。

生活面の細かいことに構わなかったのも、それだけ画業ひとつに徹底して集中していた証拠にほかなりません。

北斎は春川春章に弟子入りした若い頃から狩野派や洋画の技法研究に努め、他派の絵を真似したことが師匠の勘気に触れて破門されたほど勉強熱心でした。

一通りの絵画修業を経た後は自然界を師匠として晩年まで画法の追求に励み、一介の絵師としては稀に見る情熱を傾けながら作風を次々と変えていったのです。

そんな北斎にとって若い頃から描き溜めてきた写生帳は貴重な財産でしたが、70歳を過ぎてから初めて火事に遭い、写生帳をすべて失ってしまいました。

それでも北斎は逃げる際に持っていた絵筆一本と自分の腕を頼りに再起を図り、晩年も精力的に絵を描き続けて生涯現役を貫いたのです。

4.晩年まで画法を追求し続けた生涯

絵師としての地位を確立した後も自己模倣に陥らず、生涯にわたって貪欲に画法を追求し続けた北斎だけに、彼が残した作品は晩年ほど表現が洗練されています。

「ホクサイ・スケッチ」として西洋にも広く紹介され大反響を得た「北斎漫画」は、50歳を過ぎてから弟子のために描いた絵手本集でした。

代表的な作品の多くが北斎の人生後半に描かれており、中でも最高傑作として知られる「富嶽三十六景」は70歳を過ぎてから発表された作品です。

75歳で刊行した「富嶽百景」の跋文で北斎は「70歳までに描いた作品は取るに足りない」と書き、「73歳でようやく禽獣虫魚の骨格や草木の出生を悟った」としています。

80歳、90歳になればよりいっそう奥義を極め、百歳まで生きれば神妙の境地にも達するだろうと書いた北斎も88歳で病にかかり、刻苦勉励を貫いた長い生涯を終えました。

「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」という北斎最期の言葉が伝えられています。

5.シニアも学びたい北斎の人生哲学

人生の最期を迎えるに当たっては、あらゆる未練から解放された清澄な境地が理想とされますが、北斎のような最期もまたシニアの生き方に重要な指針を与えてくれるます。

衛生面に無頓着でありながら北斎がこれだけ長生きできたのは、高齢になっても向上心を失わず画法追求に執念を燃やし続けたことと無関係ではありません。

人生に大きな目的を持って生きる人は、歳を重ねても若さを保っているものです。

大半の人は北斎のような生き方とは一見無縁で、60歳頃に定年を迎えたサラリーマンは仕事ロスに陥ります。

逆に定年後も生きる目標を持って精力的に活動を続けている人はいつまでも若々しく、充実したシニアライフを送っている人が少なくありません。

北斎と違って老後もおしゃれやグルメを楽しみながら、何か夢中になれる趣味を見つけることも十分に可能です。

シニアの就業や自営業の形で生涯現役として活躍している人にとっても、北斎の生き方には学ぶべき点が多くあります。

葛飾北斎の生涯から生きる知恵を学ぶ

200人とも言われるほど多数の弟子を持ちながら生涯現役を貫いた葛飾北斎の生涯は、奇行を示す数々の伝説に彩られています。

世界に高く評価された北斎の功績は、破天荒とも言える彼の生き方なくしては達成できなかったものです。

晩年まで精力的に活動を続けた北斎の人生には、老後を豊かに過ごすヒントが隠されています。