定年後に読む『吾輩は猫である 』夏目 漱石(著)で自分自身も含めた人間の滑稽な姿を楽しむ

最終更新日:2017年9月26日

夏目漱石の「吾輩は猫である」は、日本の文学史上でも最も有名な作品として広く親しまれてきました。

猫が語り手を務めるという設定は広く知られていますが、全文を読んだことがないという人も少なくないものです。

1.文豪漱石のデビュー作

「吾輩は猫である。名前はまだない」という有名な書き出しで始まる「吾輩は猫である」は、明治38年に第1回が俳句雑誌のホトトギスに掲載されています。

これが日本の近代文学を代表する文豪となる夏目漱石のデビュー作でした。

ホトトギスに掲載されたこの作品が評判となったことがきっかけとなり、漱石は小説家としての道を歩み始めたのです。

当初はこの作品も1回きりの掲載予定でしたが、好評を受けて第10話まで連載されることになりました。

全話を収録した文庫本は合計500ページを超える大作となっており、最後まで読み通すにはある程度の時間を費やします。

それでも「吾輩は猫である」は明治・大正・昭和を通じて多くの人に読み継がれ、平成の今もなお愛読者が絶えません。

100年以上にわたって読者を魅了し続けてきた背景には、漱石の持つ小説家としての豊かな天分とユーモア精神の躍動があります。

2.猫の視点で人間世界を活写

猫を主人公に設定して動物の視点から人間生活を描くという手法は、日本の文学史上それまで誰も試みたことのない斬新な発明でした。

明治期の日本は急激な西洋化と近代化が進んで人々の生活様式も大きく変革する一方で、江戸時代に花開いた庶民文化も随所に残されていた時代です。

それらのミスマッチや矛盾には当時の人々も気づいていたはずですが、それを人間の視点から上手に表現するのも簡単でありません。

漱石は猫の目を借りることでそうした明治日本の珍妙さを浮き彫りにし、自分自身も含めた人間の滑稽な姿を鮮やかに活写してみせたのです。

この猫は動物でありながら相応の文化的素養の持ち主でもあって、主人の苦沙弥先生らが繰り広げる文学談義や芸術談義をありのままに語り伝える技能に優れます。

人間の心を読む能力まで持つ猫を主人公に据えることによって、彼らの内面を描写することが可能となります。

視点の設定次第で小説はどのようにでも書けるという実例を示した点で、「吾輩は猫である」の文学史的価値は極めて高いと言えます。

3.滑稽と風刺の文学

捨て猫として放置されていた主人公の猫は、苦沙弥先生の家に住み着くことで生き延びる道を見つけました。

たまたま潜り込んだその家には迷亭と称する饒舌な美学者や、寺田寅彦がモデルと言われる理学士の寒月君といった面々が頻繁に出入りします。

彼らが繰り広げる会話には西洋文化の教養と東洋趣味が入り混じり、当時の知識人同士でなければ通じないような薀蓄に満ちたやり取りも少なくありません。

特に迷亭はホラ吹きを無上の楽しみとしている人物で、人を煙に巻くような饒舌体の台詞を長々と展開する癖があります。

落語にも通じる軽妙な調子が迷亭の台詞を特徴づけており、「吾輩は猫である」の中でも最も個性的なキャラクターとして存在感を放つ人物です。

近所に住む実業家の妻・金田鼻子も横柄な女性として滑稽に描かれており、彼女を中心とした金田一家は当時台頭しつつあった成金の典型として風刺の対象とされています。

そうした風刺の精神には、漱石が愛読していたスウィフト「ガリバー旅行記」からの影響も窺えます。

4.落語的遊び心に満ちた饒舌文体

夏目漱石も中期以降になるとデビュー当時に見られたような風刺的作風から遠ざかり、エゴイズムの問題を追求した内省的作風に転じていきました。

むしろ「吾輩は猫である」だけが他の作品にない滑稽さを備えている点については、最初の回が書かれた執筆動機が深く関わっています。

それまで主に英語教師の仕事をしていた漱石は、教え子の藤村操が華厳の滝に入水自殺を遂げたショックもあって精神衰弱に罹っていたのです。

友人の高浜虚子に勧められ、漱石は不安定な精神を和らげる目的で「吾輩は猫である」を書き始めました。

当初は小説家として世に出るためではなく、むしろ自分自身が書いて楽しむ目的でこの作品は書かれたのです。

当代一流の知識人だった漱石が、自身の才気と風刺精神を自由自在に発揮させた結果が「吾輩は猫である」の文体に反映されています。

落語に造詣の深かった漱石らしく、遊び心満点の饒舌な文章に言葉遊びや笑いの要素がちりばめられている点もこの作品の見逃せない魅力です。

5.明治日本の珍妙な文化を味わう

発表から100年以上を経た現在でも「吾輩は猫である」は文庫本が容易に入手可能で、無料版の電子書籍でも読むことができます。

漱石ファンにとっては何度読んでも読み飽きないほど面白さに満ちた作品ですが、最近の小説に慣れた人には読みにくいと感じられるかもしれません。

平成の現在から遠く隔たった明治という時代背景の壁に加え、作中には当時の知識人にしか通じないような西洋文学や芸術・思想等の話題も多く登場します。

漱石が凝っていた俳句や戯作文学・古美術・芝居などの東洋趣味に対しては、若い世代の人よりシニア世代の人の方が親しみやすく感じられるものです。

西洋文化と日本の伝統文化がごちゃ混ぜになった生活様式や教養のあり方は、明治日本独特の摩訶不思議なムードを醸し出す源泉とも言えます。

当時の日本に漂っていた珍妙な空気を味わいたい人には、「吾輩は猫である」は最適な作品です。

近代俳句的な写生文を風刺の精神で味付けしたこの小説を読めば、平成の時代にいながら漱石の生きた時代を追体験できます。

夏目漱石に触れるきっかけとしてオススメな「吾輩は猫である」

夏目漱石と言えば日本を代表する大文豪として尊敬されているため、学生の頃などは近寄りがたいイメージを抱いていた人も少なくありません。

そんな人でも「吾輩は猫である」を読めば漱石の印象が大きく変わります。

猫好きの人なら案外抵抗もなしに、苦沙弥先生や迷亭といった人物たちの躍動する世界にタイムスリップできるものです。