宇和島城(愛媛県宇和島市)は藤堂高虎設計による現存天守を持つ重要文化財

最終更新日:2017年11月24日

四国地方には名城が多いと言われていますが、その中でも愛媛県宇和島市にある宇和島城は貴重な現存天守を残す城の1つです。

城造りの名手と伝えられる藤堂高虎が設計した縄張り構造も今なお城山公園に保存されています。

1.重要文化財の天守を持つ名城

その起源は平安時代前期にまでさかのぼるとされる宇和島城には、丸串城や板島城・鶴島城といった別名でも呼ばれてきました。

西園寺氏や小早川氏の時代を経て慶長年間に城主となった藤堂高虎がこの地に築城し、宇和島城と名づけたのです。

高虎は城の完成後に今治城へと移り、江戸時代初期には宇和島藩主となった伊達氏による城の大改修が行われています。

現在に残る宇和島城の天守はこのときに建造されたもので、全国でもわずか12例しかない貴重な現存天守の1つとして昭和25年には国の重要文化財にも指定されました。

江戸時代の建物を残すこの天守が宇和島城の象徴となっていますが、城全体の設計には築城の名手と言われた藤堂高虎によるさまざまな工夫の跡が見て取れます。

宇和島城を訪れたら重要文化財の天守ばかりでなく、城跡の構造にも着目してみるといいでしょう。

2.江戸時代に建造された秀麗な天守

宇和島城が名城と言われる一番の理由として、3重3階の秀麗な天守を挙げないわけにはいきません。

藤堂高虎が築いたと伝えられる複合式望楼型の天守こそ現存しませんが、今に伝わる天守は江戸時代前期の寛文年間に宇和島藩2代藩主の伊達宗利が再建した建造物です。

改修に着手した1662年の時点で当時の宇和島城はすでに老朽化が進んでいたため、天守は独立式層塔型の建造物として建て替えられました。

3重3階に及ぶ堂々たる天守は壁から軒下まで白漆喰で厚く塗り固められた総塗籠式で、唐破風や千鳥破風・懸魚のついた屋根の華麗さは名城の名に恥じません。

唐破風屋根を用いた開放的な玄関は宇和島城天守に独特の意匠で、天守全体が戦への備えよりも装飾性を重んじた天下泰平の世を象徴する造りとなっています。

65歳以上の人は身分証明書を提示すれば、160円のシニア料金で築300年以上を経た天守内部を見学することができます。

3.藤堂高虎設計の縄張り構造

建造当時は海に面していたため難攻不落の城として知られていましたが、現在の宇和島城は堀がすべて埋められ、周囲を取り囲んでいた海も過去に埋め立てられました。

江戸時代の建物も天守や上り立ち門など一部を除いて撤去され、現在は国の史跡に指定された城跡全体が城山公園として市民憩いの場となっています。

それでも宇和島城を訪れてみれば、築城の名手だった藤堂高虎の設計による城郭構造の痕跡が至るところに残されていることに気づくものです。

現在は埋め立てられている堀は五角形をしており、敵に四角形と錯覚させるための「空角の経始」と呼ばれる縄張りの工夫がされていました。

城を守るための要害として海水さえも堀に引き込んだ宇和島城には、標高74mの丘陵に築いた本丸を取り囲む形で二ノ丸や藤兵衛丸・代右衛門丸・長門丸・三ノ丸を梯郭式に配置した城郭設計が見られます。

天下泰平の時代に築かれた現存の天守とは対象的に、城全体の構造には戦乱の時代の名残をとどめているのです。

4.藤堂高虎から宇和島伊達氏へ

何度も主君を変えながら戦国の世を巧みに渡り歩いた戦上手の武将として知られる藤堂高虎は、加藤清正と並ぶ築城名人でもありました。

藤堂高虎の築城法は石垣を高く積み上げる点が大きな特徴で、宇和島城の随所に見られる高い石垣も藤堂高虎時代に築かれた遺構です。

藤堂高虎は浅井家家臣を経て豊臣家に仕え、主君の豊臣秀保が早世したため一度は出家した経緯があります。

豊臣秀吉の召還を受けて還俗した高虎は伊予国宇和郡7万石を与えられて宇和島に入り、慶長元年から本格的な築城を開始しました。

宇和島城が完成したのは関ヶ原の戦いの翌年ですが、高虎が今治城に移った後は富田氏を城主とする時代を迎えます。

幕府直轄の時代を経て慶長19年には独眼竜の異名で知られる伊達政宗の長男・秀宗が宇和島藩の藩主として入城し、以後幕末までこの宇和島伊達氏を藩主とする時代が続きました。

宇和島城は藩庁として使用され、2代藩主宗利が10年近くを費やして城を改修したのです。

5.幽玄美が味わえる城山公園

宇和島城を訪れる一番の魅力は現存する江戸時代の貴重な天守を間近で見て内部も見学できる点にありますが、藤堂高虎の城郭設計を残す城山公園の自然に親しみながら城内を散策するのも楽しみの1つです。

藤堂高虎時代に創建された可能性が高いと言われる上り立ち門をくぐって登城口から続く長い石段を上っていくと、400年以上の歳月を物語る苔むした石垣が姿を現します。

行く先々で目にする古い石垣と石段が城山公園の自然と一体化しており、醸し出される幽玄美は古城を愛する人々を魅了してやみません。

途中で現れる山里倉庫は江戸時代後期に建てられた武器倉庫で、現在は郷土資料館としてさまざまな歴史資料が展示されています。

一際高い本丸の石垣を横に見ながら石段をさらに上っていった先に、築およそ350年という由緒ある白亜の天守が姿を現すのです。

マイナーながらマニア必見の古城「宇和島城」

大阪城や姫路城・名古屋城といったメジャーな城ほど年間入場者数は多くありませんが、城マニアと呼ばれる人たちの間でも宇和島城は穴場とされています。

全国にわずか12しかない貴重な現存天守に加え、400年以上もの長い年月を経た石垣と城郭遺構の点在する幻想的な宇和島城の光景は、古城好きのシニアなら必見です。