『小説 上杉鷹山 』童門 冬二(著)で理想的な政治家、指導者のありかたを学ぶ

最終更新日:2017年10月25日

上杉鷹山は、江戸時代の米沢藩の藩主であり、藩政改革に力を注いだ人物です。

深刻な財政危機に陥った米沢藩を救った名君として讃えられています。

この作品「小説 上杉鷹山」は、その上杉鷹山の悪戦苦闘の生涯を描いています。

作者が、あえて「小説」とタイトルに掲げたのは、史実から離れるという宣言でしょう。

架空の人物、エピソードも織り込むことで、小説としてのダイナミズムを持たせるためと考えられます。

また、この「小説」という言葉には、史実を作者の視点から描くという意味もあります。

歴史小説は、実は現代小説なのだという論評があります。

歴史上の人物や出来事を描くことによって、実は現代社会の営みを描くということです。

そしてそれは、小説の形を借りて、現代社会に対して批判を加える意図があるということです。

1.バブル崩壊後の日本

この小説の最初の出版は1983年となっています。

文庫版は1995年に出版されています。

1995年と言えば、ちょうどバブル経済の崩壊とときを同じくしています。

日本全体が集団ヒステリーを起こしていたかのような、異常な好景気でした。

そしてご存知の通り、その好景気はまことにあっけなく崩壊しました。

そのあとに続いたのは、いつ果てるとも知れない不況でした。

金融機関など大企業の不正、不祥事が明るみに出ました。

狂熱から醒めたあとで、日本中の人がいやおうなく醜悪な自分の姿と向き合わねばなりませんでした。

全ての人が大なり小なりバブルに浮かれていたことは否定できません。

この小説の文庫版がそんな世相のときに出版されたのは偶然ではないでしょう。

この時期に、他にも上杉鷹山をあつかった小説や経済関係の書籍が出版されていました。

ケネディ大統領が「最も尊敬する日本人は上杉鷹山」と語ったという惹句のついた本が出版されていました。

あるテレビ番組では、タレントがこんな発言をしたこともありました。

「バブルが崩壊した今だからこそ、上杉鷹山を勉強しよう」と。

2.儒教的な徳の人

率直なところ、この作品を読んで懐疑や不信を抱く人も多いでしょう。

何故ならば、主人公である上杉鷹山があまりにも聖人君子として描かれているからです。

上杉鷹山は、幼くして上杉家に養子に入ります。

実家は小藩であり、そもそも彼が養子に選ばれたのは、小藩の出身ゆえでした。

家臣たちにしてみれば、小藩出身の養子ならば思う存分ないがしろにできるというわけです。

19歳で藩主になるのですが、その経緯も養父の前藩主が政治を投げ出したからというのが理由でした。

ここで、米沢藩の窮状が語られます。

関ケ原の戦いで徳川家に逆らった上杉家は大幅に領地を削られます。

何と言っても、120万石から最終的に15万石へ減封ですから、破産状態になるのも当然です。

そのような惨状でも家臣の数は減らせません。

また、プライドだけは大大名のままというありさまです。

忠臣蔵の敵役として有名な吉良上野介は上杉家の縁戚であり、彼の介入も財政悪化の一因でした。

若き上杉鷹山は、こんな状況の米沢藩を任されてしまいます。

家臣から、「もう藩を幕府へ返上したい」という弱音が出ます。

言ってみれば自己破産でしょう。

上杉鷹山はここで、「天女を不幸にはできない」と考えます。

この天女というのは、上杉鷹山の名目上の妻である幸姫のことです。

上杉鷹山はこの女性の婿として上杉家の養子になったのです。

実はこの幸姫には肉体的にも知的にも障碍があり、実質的な夫婦関係はありませんでした。

しかし、側室を持つように勧められた上杉鷹山はそれを峻拒します。

名君上杉鷹山は、障碍のある妻を労わる心優しい青年として読者の前に現れます。

この時代ですから、儒学は一般的な教養であり、上杉鷹山の教養の根幹もまた儒学です。

実際に上杉鷹山は高名な学者であった細井平州を師と仰ぎ、儒教的な徳治政治を行います。

儒教と言えば、封建的なイメージがあります。

しかし、上杉鷹山にあってはこの儒教的な政治は、愛情や寛容といった側面の協調されたものとなっています。

この作品で描かれる上杉鷹山は、現代的な価値観の持ち主です。

3.苦闘する改革者

上杉鷹山は、改革に乗り出します。

まず始めるのは、冷や飯食いの人たちを登用することでした。

藩の中で、能力もやる気もあるのに、いや、だからこそ冷遇されている人たち。

そういう人たちを集めて、改革の構想を練ります。

ここでお気づきでしょうが、この場面はまさに現代の会社組織のサラリーマンの姿を描いているのです。

やはり、この小説は現代社会の会社のことを歴史小説で描いているのです。

ここでの上杉鷹山は、とうてい若年とは思えない名君ぶりを示します。

というより、名経営者として描かれます。

藩政改革のプロジェクトチームは、実在の人物なのですが、まことに人間臭く描かれています。

能力はあっても癖の強い人たちという描き方です。

この人たちに接する上杉鷹山の態度は、むしろ彼のほうがはるかに年長なのではないかと思えるほど老成しています。

改革は必要だが、やりすぎてはいけない。

改革の根幹には、愛情がなくてはいけない。

民への労わり、思いやりがなければならない。

まるで、現代の民主主義思想の先取りのようです。

たしかにこのあたりは、上杉鷹山を理想化しているでしょう。

しかし、ひいきの引き倒しというわけでもありません。

上杉鷹山はあとに「伝国の辞」という心得を次期藩主に申し渡しました。

そこにはこう述べられています。

一、国は先祖から子孫へ伝えられるものであり、藩主の私物ではない。

一、領民は国に属しているものであり、藩主の私物ではない。

一、国と領民のために藩主があるのであり、藩主のために国と領民があるのではない

上杉鷹山は守旧派の激しい抵抗に合いつつ改革を進めていきます。

ここで、また人間臭い現代的なリアリティーのある人物が複数登場します。

かつて上杉家に女中として勤めていた若い女性が登場します。

彼女は、財政再建のリストラのために解雇されてしまいます。

彼女はそのことを恨んで、上杉鷹山の改革に反抗します。

下級の役人だった中年の侍がいます。

彼は上杉鷹山の初のお国入りを差配する役を務めます。

しかし、彼はここで失態を演じます。

本来であれば、切腹せねばならないところでした。

上杉鷹山に助命された彼は、改革に率先して協力します。

上杉鷹山は武士たちに新田開発を命じるのですが、その事業に彼は志願します。

慣れない農作業に従事する彼は、しかし、かつての武士の生活になかった充実感を感じるのです。

これらの登場人物は、かなりウェットな描かれ方をしています。

その一方で、上杉鷹山の改革については現代的な解釈がなされています。

「改革の成否分析表」というのが、作中に登場します。

そこには、改革失敗の原因として、

・改革の目的がわからないこと。

・推進者が一部の人間にかぎられていたこと。

・改革の趣旨が徹底していないこと。

・領民に一方的に押し付けられたこと。

など、まことに現代的なドライな分析がなされています。

このあたりは歴史小説の枠を完全に超えているでしょう。

作者は、バブル崩壊後の苦境にある会社を念頭においてこの作品を書いているのです。

4.苦悩と成功

史実に沿って物語は進行していきます。

そこで、キレイごとでは済まない改革の一面も描かれます。

まず、七家騒動と呼ばれる重臣たちのクーデターまがいの反抗が発生します。

この守旧派の巻き返しは、前藩主が上杉鷹山に味方したことで、からくも鎮圧されます。

ここで上杉鷹山は大いに衝撃を受けます。

何と言っても上杉鷹山というのは、善意の人なわけです。

頑迷な重臣たちもいずれは理解してくれるという性善説的な考えで行動していました。

しかし、そんな考えは結果的には甘かったわけです。

ここに至って上杉鷹山は全藩士を招集し、改革の是非を問います。

社長が全社員を集めて緊急ミーティングを開いたという趣があります。

最初は暗く重々しい雰囲気で始まったこのミーティングは、やがて社員(藩士)たち全員が改革に賛同するという結果で終わります。

バラバラだった社員(藩士)の心が、ここで一つになるという感動的なシーンになっています。

もちろん、あまりにできすぎという批判があるでしょう。

しかし、この作品は理想の会社、理想の経営者を上杉鷹山に仮託して描いているのです。

史実を見れば、造反した重臣の一人は切腹させられ、扇動した藩医は斬首されるという血なまぐさい事実があります。

さらに、ある意味でより過酷な試練が続きます。

上杉鷹山のもとで改革派であったはずの竹俣当綱が腐敗、堕落してしまいます。

彼は、結局失脚してしまいます。

守旧派ではない、かつての同志が変貌してしまいます。

重要なのは、この竹俣の堕落が個人的なものとは描かれていないことです。

竹俣は改革を推し進める過程で、困難に突き当たります。

キレイごとでは、なかなか人は動きません。

竹俣はやむなく腐敗した下僚たちと妥協します。

不正や怠慢をある程度見逃さなければ、腐敗した下僚は動かないのです。

竹俣の堕落は、改革のために清濁の「濁」の部分を飲んだ結果でした。

このあたりにこの作品の辛辣なリアリティーがあります。

キレイごとでは、政治などできないという現実も提示されているわけです。

しかし、上杉鷹山はあえて竹俣を処罰します。

竹俣の苦衷は承知のうえで、あえて「改革に汚れ役はいらない」と言い切ります。

この部分については、作者は読者に判断を委ねていると思われます。

あまりにキレイごとでありすぎるという意見もあるでしょう。

しかし、現実の厳しさを承知したうえで、それでも改革は清廉であるべきだという主張があります。

現代にも通じる上杉鷹山の思想を学ぶ「小説 上杉鷹山」

この作品のラストシーンは、改革成功後の上杉鷹山と家臣の姿を描いて終わります。

一言で表現すれば、その姿は清貧そのものということになります。

改革が成功したと言っても、実は貧しさには変わりはないのです。

この清貧という言葉自体が、現代の経済学の立場からは非難されるかもしれません。

ご存知のように、大規模な金融緩和によって日本の経済は好調という評価もあります。

上杉鷹山の質素、倹約を柱とする改革は時代遅れかもしれません。

また、そもそも上杉鷹山の改革が成功したかどうかについても、学問的には厳しい評価もあります。

しかし、この作品で描かれているのは、理想的な政治家、指導者のありかたであり必ずしも史実ではありません。

現在の日本は、あるいは再びバブル経済へ向かっているのかもしれません。

バブルの前だとすれば、ここで上杉鷹山の治績に思いをはせることには意味があるでしょう。