日光を見ずして結構というなかれという言葉があるくらい、日光東照宮はきらびやかで美しい建物です。
江戸幕府260年の繁栄を示すかのように、現代でもそれは変わりません。
そして、境内の中には徳川家の思いが沢山詰まっているのです。
一生に一度は訪ねてみる価値のあるところです。
1.アクセス
日光へ行くには3通りの方法があります。
まずはJRで行く方法です。
東北新幹線で宇都宮まで行き、日光線に乗り換えてJR日光駅で下車します(もちろん宇都宮まで各駅停車でも構いません)。
次に東武鉄道を使う方法です。
浅草から東武日光まで直通で行けます。
特急電車もありますし、快速電車でのんびり行くことも可能です。
車の場合は、東北道宇都宮インターから日光宇都宮道路へ入り、日光インターでおります。
他にも関越道の沼田インターでおり、奥日光へ出て市街へいたるコースもあります。
更に、東武鉄道などではフリーパスを販売しているので、それを使うのも一つの方法です。
2.東照宮の始まり
徳川家康が駿府城(静岡県)で75歳の生涯を閉じた後、その亡骸は直ちに近くの久能山に埋葬されました。
そして、家康の遺言により、一年後に日光に移され祀られることになったのです。
そして2代将軍秀忠を始めとした公家や武士の参列の元に正式に東照社として鎮座しました。
その後、天皇より宮号を頂き、東照宮と呼ばれるようになったのです。
現在見られる社殿は、その後3代将軍家光によって作られたものです。
何故、家康は日光に祀られることを望んだのでしょうか。
もちろん、本当の理由は本人にしか解りません。
しかし、いくつかの推論があります。
日光は関東武士の尊崇を集めた山岳信仰の霊場だったということが一つあげられます。
また、日光は江戸から見て北極星の輝く真北に当たります。
それが重要だったという説もあります。
古代中国の思想で北極星は宇宙を主宰する神とされていました。
天子南面すという言葉がすらあります。
家康は北極星を背にして南向きに座し、神と一体になって江戸幕府を司りたかったのかもしれません。
3.最初のポイント、大鳥居と五重塔
まずチケットを買い、いよいよ東照宮へ向かいます。
少し上りの坂を歩いていくと大鳥居が見えてきます。
入り口からこの大鳥居までの道幅が少しずつ狭くなっていくのです。
そうすることによって遠く見え、敷地が広いと錯覚させるための手法です。
この大鳥居は九州筑前藩主黒田長政が奉納しました。
石材は九州から船で小山まで運ばれそれ以降は陸路を人力で運んだといいます。
鳥居を潜って左手には五重塔が聳えています。
これは、若狭の小浜藩主酒井忠勝によって奉納されました。
五重塔の中心には心柱という大きな柱がありますが、地面に着いていません。
浮いた状態です。
この工法がスカイツリーに使われ、地震に強いことが証明されました。
更にまっすぐ進めといろいろ多くの建物が見られるようになります。
4.表門から陽明門にいたる境内
表門を潜ると、正面に祭りで使われる馬具や装束の納められた三神庫という3つの建物があります。
そして参道は左に曲がります。
曲がってすぐ左手に現れるのが神厩舎です。
ここは、神馬をつなぐ厩です。
この厩の外側の長押に有名な三猿を含む猿の彫刻があります。
猿は馬を守る動物ということから、厩に彫刻されたのです。
8面で一つの物語が語られます。
それは、姿は猿ですが人間の一生を風刺しています。
三猿は、成長過程の子供のときのことを表します。
「見ざる、いわざる、聞かざる」とは、子供には悪いことを見せず、悪いことをいわず、聞かせないという戒めです。
平成の大修理で、この猿の彫刻もキレイに彩色し直されましたので、色鮮やかな猿たちに会うことができます。
更に道なりに進みます。
左手に御水舎があります。
参拝するときには、必ず手を洗い口をすすぎ、身を清めます。
ここは、そのためのものです。
身を清めるのはもちろんですが、ここには珍しい龍がいます。
飛龍と呼ばれ、背中に羽が生えています。
5.一番の見所、陽明門
東照宮の一番の見所はやはり陽明門でしょう。
きらびやかな美しい門です。
一日中見ていても飽きないところから「日暮らしの門」とも呼ばれます。
門には多くの彫刻がなされその数は500以上といわれています。
この門を支える8本の柱がありますが、そのうちの一つは模様が上下逆になっています。
門を潜って振り向くと見ることができます。
これは完成したものは後は滅びるだけという考えがあり、門はまだ完成していないのだというしるしです。
陽明門の左右には回廊があり外壁には花鳥の彫刻がなされています。
一枚板の透かし彫りですので、近寄って良く見てみましょう。
その精巧さに驚かされます。
門を潜ると目の前に唐門があります。
真っ白な非常にキレイな門で中国の話が彫刻されています。
その後ろ側が御本社です。
見学することができますので、ぜひ中まで行ってみましょう。
拝殿は参拝する大名の位によって座るところが決められていたといいます。
自分の座ったところは何万石なのか想像してみるのも楽しいでしょう。
また、拝殿の上部には三十六歌仙の絵が掛けられていますので、それを見ることもオススメします。
6.左甚五郎の眠り猫、奥宮まで行きましょう
それでは、家康公の眠る奥宮へ行きましょう。
その前に、欠かせないポイントがあります。
眠り猫です。
左甚五郎が彫ったといわれるものです。
牡丹に囲まれて猫がゆっくり寝ています。
そして、裏側では雀が遊んでいます。
つまり、平和を表しています。
徳川家がその平和を守っているということなのでしょう。
しかし、一説にはこの猫は寝ているように見せかけていつでも飛びかかれるように踏ん張っているというのです。
ちょっと姿勢を低くしてみるとその様子が解ります。
眠り猫の下を潜って石畳と石段の道を歩いていきましょう。
両側に積まれた石も苔むして歴史を感じさせます。
運動不足の人には少々きつい行程です。
その途中に家康公のメッセージが掲げられています。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」というものです。
かなり疲れてきた場所にあるので、実感してしまいます。
しかし、物心ついたときから人質となり、やっと天下を取った家康の言葉と思うと、心にしみます。
やっと着いた墓所はぐるりと周囲を回れますので、徳川15代に思いを馳せてゆっくり回って見ましょう。
7.陽明門を出てから龍の声を聞きに行きましょう
陽明門を出て、右側に薬師堂(本地堂)があります。
この中に鳴竜が住んでいます。
天井に龍の絵が描かれているのですが、ある場所で拍子木を打つと反響し、泣いているように聞こえます。
昔は自分で手を叩いて声を聞いたようですが、現在はお坊さんが拍子木を打ってくれます。
また、この堂内には十二支ごとの守り本尊(本地仏)がいらっしゃいますので、自分の本地仏を見つけてみることもオススメです。
8.明治維新のときのこと
大政奉還後の官軍と幕府軍の戦いの際のことです。
家康の墓所ですから、官軍は東照宮も破壊しようと進軍してきました。
ところが、東照宮の扁額は後水尾天皇の宸筆だったのです。
そのため、官軍に従軍していた板垣退助がここを焼き払うのは不敬であると進言し、東照宮は無事であったという話があります。
思わぬところで日本の文化が残されたのです。
日光東照宮へ行ったら灯籠にある名前にも目を向けてみよう
東照宮はその彫刻まで一つ一つ見ていくと一日中掛かっても見切れないかもしれません。
それほど多くの見所があります。
また、寄進された灯籠一つにしても、伊達政宗の名前があったりと、歴史上の人物の名前が沢山散見されます。
ゆっくり見て回り家康の偉大さを実感してみましょう。