定年後に読もう!『グレート・ギャツビー』スコット フィッツジェラルド(著)で無垢の愛を思い出す

最終更新日:2017年9月25日

F・フィッツジェラルド作の 「グレートギャッビー」は、一九二五年に執筆出版された本です。

アメリカが経済的繁栄を謳歌していた一九二〇年代「古き良き時代」の哀しい恋の物語として、今でも多くのアメリカ人の心をとらえています。

1 作品の概要

今でも多くのアメリカ人の心をとらえていると言っても、この作品は発表当初から爆発的人気で読者を獲得したものでありません。

発表当初は一部批評家から高い評価を受けるなどしましたが、読者などからアメリカ文学の古典として認められたのはフィッツジェラルドの死後数十年を経た後でした。

話の粗筋としては、一攫千金で財を成した男が、幸せそうな家庭を築いてるかつての恋人を取り返そうとしてその夫とトラブルになり、その揉め事の最中に誤って命を落とす、と言う単純な筋書きです。

それだけを見れば、アメリカのイエローペーパーによくある他愛ない恋愛小説そのものであり、特段の特徴があるわけではありません。

この筋書き的には単純な「恋愛沙汰」のストーリーが、どのようなところで多くの読者を魅了したのでしょうか?

言葉を換えて言えば、この小説が何故アメリカ人の心の琴線に触れ長く読み継がれているのでしょうか?

少し作品から離れて、その時代的背景や社会的背景から見てみましょう。

2 作品を取り巻く時代的・社会的背景

・第一次世界大戦
本作品が発表された一九二五年の七年前に終結した「第一次世界大戦」は人類史上初めての世界大戦として、四年間の長期間にわたりヨーロッパ戦線等で戦いが繰り広げられました。

それまでの古典的戦争と違い、第一次世界大戦では、機関銃・航空機・戦車など今までになかった大量殺戮兵器の出現により、塹壕戦など長期消耗戦を強いられることとなりました。

このため、兵士達は戦闘による戦傷に加えて塹壕戦など長期戦による死への恐怖などメンタル的なショックも受け、大戦終了後、多くの帰還兵が今で言う「PTSD (心的外傷後ストレス障害)」に陥りました。

自己の存在に自信を失い、何をしてよいのか、何をしなければいけないのか、失った時を取り戻すことのできない焦りと無力感に苛まれた状態で兵士達は母国に帰っていったのです。

その程度の差異はあっても、四年間の長期にわたる戦争体験は、母国に帰還した兵士達に時間的・空間的に現実世界との位相差を感じさせるものでした。

このような戦争体験者を当時「ロスト・ジェネレーション(失われた世代) 」と呼びました。

本作品の主人公ギャッビーも語り手のニックもまさしくその「ロスト・ジェネレーション」です。

とりわけギャッビーにとって、四年間の時で失ったもの(恋人ディジー)を取り返すことは、失った自分を取り戻すことでもあり、ギャッビーの有名な台詞「過去は取り戻すことができる」は自分を励ます言葉でもあったのです。

・禁酒法時代

本作品が発表された一九二五年は、アメリカで種類の製造・販売等が禁止されたいわゆる「禁酒法」の時代でした。

アメリカのプロテスタンティズムの理念が先行したこの「禁酒法」は実効性が乏しく、酒類の社会的需要に支えられて密売業者が横行していました。

ギャッビーも、このような時流に乗ってアンフェアな手段で財を成しました。

この時代は、アメリカにおける産業化と都市化の急速な進展が社会的・経済的な活況を呈し、未曾有の好況にアメリカ人の誰もが未来に対し大きな夢を持っていました。

今もなおアメリカ人がこの「古き良き時代」を郷愁をもって振り返るのは「アメリカン・ドリーム」を象徴する時代でもあったからです。

なお、この四年後の一九二九年には、ニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した「大恐慌」が起きています。

フィッツジェラルドは、この爛熟した「禁酒時代」の世相を、ギャッビーの大邸宅に群がり集まる着飾った紳士淑女による盛大なパーティーの情景の中で、思う存分に描いています。

その一方で、ギャッビーを取り巻く華麗な人間関係については、ドイツ系アメリカ人であるギャッビーを取り巻く彼らがいずれもWASP(アングロサクソン系の白人支配層)であり、ギャッビーとの関係が単に虚飾と欲得に塗れたものであることを示唆しています。

それを象徴する出来事として、最終章で描かれているギャッビーの葬儀に参列したのは、彼の父親ともう一人だけでした。

3 ギャッビーにとってディジーとは?

元恋人のディジーを奪い返すために、社会的にアンフェアーな手段で財を成してディジーとの接点を得たギャッビー。
ディジーの夫と対決してディジーの愛を得ようと図りましたが、ディジーから愛を受け入れる言葉を得ることはありませんでした。

この時点でギャッビーは、愛も時の流れと同じく移ろい易く、時には冷淡なものであることを悟りました。
だからと言ってディジーを恨むことはありません。

唯一救いなのは、この修羅場でのやりとりの中から、ギャッビーが求めていたもう一つのもの、「自分」を取り戻すことができたこと。

ディジーに対する一途な愛を全うしたギャッビーは、従容としてこの結果を甘受し、あまつさえ誤って殺人を犯したディジーの身代わりとなって射殺されてしまいます。

何度も映画化されたラブ・ストーリーの古典を読んでみよう

この不幸ではありますが、華麗なラブ・ストーリーは、無垢の愛を貫きとおして命を落とした主人公ギャッビーの生き様を縦横に描き出し、読者に深い感動を与えます。

アメリカでは、本作品が五回も映画化されるなど、今でも名作としての金字塔を保っています。

生涯に一度は読み通したい作品であることに間違いはありません。