日本人が書いた小説の中でも、夢野久作の「ドグラ・マグラ」は最も奇妙で独創性の高い作品として知られています。
通常の小説とはまったく異なる読書体験が得られる点で、この作品の価値は80年以上経った今も色褪せていません。
1.日本小説史上に残る伝説的奇書
「ドグラ・マグラ」は小栗虫太郎「黒死館殺人事件」中井英夫「虚無への供物」と並び、日本探偵小説における三大奇書の1つに数えられています。
一般的な推理小説の枠に収まりきらない異端の作品という意味で奇書と総称されていますが、これら3つの作品に共通点が見られるわけではありません。
中でも「ドグラ・マグラ」は解説書によっては「幻想・異世界テーマ」のカテゴリーでSF小説として紹介されているほど多彩な内容を持ちます。
探偵小説の分野で大正から昭和初期にかけて活躍した夢野久作は、早くからこの「ドグラ・マグラ」の構想に着手していました。
執筆に10年以上を費やし、推敲に推敲を重ねた末に彼がこの大作を完成させたのは、亡くなる前年の昭和10年のことです。
「ドグラ・マグラ」はあまりに奇想天外な文体と内容だったために当時は正当に評価されませんでしたが、戦後になってから若い世代を中心に絶大な支持を得るに至りました。
その後は現在に至るまで日本の小説史上に残る怪作中の怪作として語り伝えられているのです。
2.要約が困難な怪作
以上のような経緯を知って「ドグラ・マグラ」に興味を抱いた人でも、実際に最後まで読破するのは簡単なことではありません。
この作品は一般的な小説とはだいぶ様相の違った書かれ方をしており、あらすじを要約するのも困難なほど混乱を極めているからです。
そうした混乱も作者の計算のうちに入っていると考えられ、最後の最後まで読者を混乱の中に取り残すことで目的を果たすような作品とも言えます。
この本を最後まで読んだ者は必ず一度は精神に異常を来たす、というのが「ドグラ・マグラ」刊行時の帯に記されていた謳い文句です。
実際にこの小説は、精神に異常を発して記憶喪失に陥った患者の視点で語られる、という設定を採用しています。
作品自体が尋常な精神状態の下で書かれた文章ではないような印象すら抱きがちですが、そう感じた時点で読者はすでに作者の術中に陥っているのです。
3.精神病院を舞台に物語が展開
このように「ドグラ・マグラ」のあらすじを書くのは極めて困難な作業ですが、強いて要約すれば以下のようになります。
「記憶を失った主人公の青年が精神病院で目覚め、自身と関わる事件の詳細を少しずつ知らされていく」というのが物語の基本的な流れです。
この事件には昭和初期の探偵小説らしく猟奇的な犯罪が深く関わっているのですが、「ドグラ・マグラ」は単なる犯人探しの推理小説ではありません。
主人公の青年が事件とその周辺事情について知らされていく過程ではさまざまな作中作も登場しますが、小説の中で経過する時間は基本的に精神病院の内部に限定されます。
主要な登場人物は「私」の一人称で語り手を務める主人公の青年に加え、法医学担当の若林教授と破天荒な学説を主張する天才精神科学者の正木教授です。
こうした基本構造さえ把握していれば、意表を突いた仕掛けの数々にも余裕を持って対処できるため、日本文学史上稀に見るこの怪作が少しでも理解しやすくなります。
4.奔放な文体と複雑なプロットが魅力
「ドグラ・マグラ」最大の特徴は変幻自在な文体にあり、作中の随所に阿呆陀羅経の経文や学術論文を模した作中作が登場する点を見ても、読みにくさが窺えます。
冒頭から辛抱強く読み進めてきた読者でも、阿呆陀羅経が出てきたところで挫折してしまうケースが少なくありません。
確かに現代小説の基準から見れば、こうした実験的とも受け取れる手法は決して万人向けと言い難い面もあります。
一方では、わかりやすい語法で書かれた普通の小説に飽き足らないという読者も少なくありません。
そういう読み手にとっては、阿呆陀羅経の経文や寺院縁起を模した擬古文などの作中作もなかなか味わい深いものです。
この作品はSF小説の範疇にも含まれるほど精神医学との関わりが深く、後半には輪廻転生の思想を遺伝の観点から科学的に実証しようとするかのような展開も見られます。
作者の夢野久作は百科事典を読破して得た知識を総動員してこの大作を書いたと伝えられています。
5.想像力の限界に挑む読書体験
10年以上の歳月を費やして書かれた「ドグラ・マグラ」には、夢野久作の持つ知識と想像力のすべてが投入されていると言っても過言ではありません。
夢野久作は主に探偵小説の分野で活躍してきた作家ですが、童話も多く書いていることでも窺えるように空想性の点で豊かな天分に恵まれています。
その夢野久作が想像力を極限まで駆使して書き上げた「ドグラ・マグラ」は、読み手の側でも想像力の限界に挑戦するほどの読書体験を得られる点で他の追従を許しません。
作者は結末に至るまで物語の真相について明確な解答を示したわけではなく、読み方によってはどのようにでも解釈できるような書き方がされています。
それだけに「ドグラ・マグラ」は難解な作品とされていますが、最後まで読み通したときの達成感もまた大きいのです。
事件や問題が解決して大団円を迎えるような一般的小説では得られない不思議な読後感も、「ドグラ・マグラ」の持つ魅力の1つと言えます。
ぜひ紙の本で「ドグラ・マグラ」を読んでみよう
「ドグラ・マグラ」は現代の読者にとって決して親しみやすい小説とは言えませんが、近代文学や推理小説を読んできた下地を持つ人なら読みこなすことも十分に可能です。
すでに著作権が切れている「ドグラ・マグラ」はインターネット上でも無料で読めますが、紙の本で読めばその奇妙奇天烈な魅力をよりいっそう深く味わえます。