松陰神社(山口県)で激動の時代・幕末期に高い志を持ち、強く生きた若者達のパワーを感じ、受け取ってみる!

最終更新日:2017年11月17日

松陰神社は、山口県萩市にあり、江戸時代末期の思想家・教育者である吉田松陰と彼の門下生が祀られています。

吉田松陰は、萩市民から「松陰先生」と呼ばれ、今なお慕われています。

松陰神社内には、松陰の私塾・松下村塾の建屋が、当時のまま現存しています。

この地で松陰は、若い長州志士達と日本の未来を語り合い、彼らを育て、導きました。

1.吉田松陰の生涯

吉田松陰(1830-1859年)は、長州藩(現在の山口県萩市)で、杉百合之助の次男として生まれました。

幼少期は、叔父・吉田大助の養子となり、山鹿流兵学を学びました。

大助の死後、もう一人の叔父・玉木文之進の指導の元、勉学に励みました。

しかし、アヘン戦争でアジアの大国・清がイギリスに大敗したことで、これまで自身が学んできた山鹿流兵学が時代遅れだと痛感しました。

これでは日本も清と同じ道を辿ると考えた松陰は、21歳の時、西洋兵学を学ぶため、九州を始めとして日本全国遊学の旅に出ます。

松陰が江戸に滞在していたおり、ペリーが浦賀に来航します。

黒船を見た松陰は、改めて西洋諸国の脅威を実感しました。

そこで、松陰は西洋に対抗するため、自ら外国に渡航し、西洋技術を学ぼうと、再来航した黒船に隠れて乗り込み、アメリカへ渡航させて欲しいと交渉しました。

この松陰の密航計画は失敗し、松陰は萩の野山獄へと投獄されてしまいます。

野山獄を出た後の松陰は、実家の杉家に幽閉され、松下村塾を主宰します。

松下村塾では、学ふ意欲があれば、身分の隔たりなく、誰でも学ぶことができました。

また、決まった教本や時間割もなく、塾生が来ればいつでも塾が始まります。

ここでは、書物の解釈だけではなく、時事問題についても活発な議論が行われていました。

この松下村塾は、明治維新で名を馳せた長州志士を多く輩出しました。

松陰が30歳の時、斬首刑に処され、その激しくも短い生涯を閉じました。

吉田松陰は、優秀な思想家・教育者ですが、その反面、日本の未来を想うあまり、過激な倒幕論者でした。

2.松陰神社とはどんなところ?

松陰神社は、山口県萩市にある、吉田松陰とその門下生を祀った神社です。

松陰の遺言により、彼の愛用していた赤間硯と松陰の書簡を神体として祀ったのが創建です。

松陰神社境内には、松陰の私塾・松下村塾が現存しており、ここから明治維新・日本の近代化の原動力となった多くの長州志士を輩出しました。

この他にも松陰幽閉の旧宅や、吉田松陰歴史館など松陰に所縁のある史跡や展示物が境内に点在しています。

吉田松陰は、萩市では学問の神として松陰神社に祀られています。

また、松陰神社は正月には多くの初詣客が参拝します。

神社へのアクセスは、JR山陰本線・東萩駅よりタクシーで5分です。

また、JR山陰本線・東萩駅、または萩駅から萩循環まぁーるバス・東回りコース(松陰先生)に乗ると松陰神社に着きます。

3.パワースポットとしての松陰神社

吉田松陰は、江戸時代末期の思想家・教育者です。

松陰の門下生には、高杉晋作や久坂玄瑞、桂小五郎、山縣有朋、伊藤博文など、幕末期から明治時代にかけて、近代日本の礎を築いた人物が、数多くいます。

松陰は優秀な教育者だったことから、萩市では松陰を「松陰先生」と呼び、彼を学問の神として祀っています。

受験シーズンには、学業成就や合格祈願に多くの参拝客が訪れます。

松陰神社は、松陰の他にも彼の門下生の御霊も祀られており、境内では彼らの志や歴史を感じることのできる空間です。

受験生でなくても、何かパワーを頂けることでしょう。

正月には、松陰神社内にあるイチョウの木から採れた銀杏を参拝客に振舞っており、初詣にお越しの際には、開運パワーと一緒にこの銀杏も頂いてみて下さい。

4.松陰神社の周辺スポット

松陰神社から少し坂を登ったところに東光寺という寺院があります。

東光寺は、長州藩三代藩主・毛利吉就から11代藩主までの奇数代藩主とその夫人等の墓があります。

また、三角州を挟んで、反対側に位置する椿地区には、大照院という、初代藩主・毛利秀就と二代藩主から12代藩主までの偶数代藩主等の墓がある寺院があります。

東光寺の豪華で煌びやかな造りに対して、大照院は深い緑に囲まれ、趣のある造りとなっています。

どちらも萩市を代表する有名なパワースポットです。

東光寺は、松陰神社から松陰誕生地へと行く道すがらにあるため、松陰神社を周辺を散策する際に、行ってみてはいかがでしょうか?

また、松陰神社から少し離れていますが、松陰神社と並び萩市のメイン観光地の萩城城下町を行ってみて下さい。

江戸時代に描かれた地図のままに町並みが残っています。

幕末の風雲児・高杉晋作誕生地や武家屋敷、萩博物館などがあります。

この城下町の一角に、高杉晋作や伊藤博文に所縁のある円政寺という寺院があります。

円政寺は、お寺ですが、入り口に石鳥居、境内には十二支の彫刻が施された金毘羅社社殿があり、これは全国的にも珍しい神仏習合の形態が見られる貴重な寺院です。

萩の歴史に触れ、当時に想いを馳せながら、散策して下さい。

まとめ

松陰神社は、江戸時代末期の思想家・教育者である吉田松陰とその門下生を祀った神社です。

萩市では、松陰神社は学問の神を祀った神社として有名です。

しかしこの神社は、松陰を筆頭に幕末という激動の時代を生きた多くの若者達の御霊が祀られており、境内には松下村塾といった彼らに所縁の場所が点在しています。

松陰神社では、松陰と彼の門下生の志や歴史を肌で感じることができます。

激動の時代・幕末期に高い志を持ち、強く生きた若者達のパワーを感じ、受け取ってみてはいかがでしょうか?