佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』ネタバレあらすじ!定年後シニアの教科書

最終更新日:2018年3月9日

佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』は定年後シニアの教科書

失意や苦悩に陥った時への覚悟が、全編に満ちています。めげずに生きていく勇気がもらえます。佐藤愛子は93歳という年齢を受け入れながらも自由に生きています。桂歌丸師匠が「この本は年寄りの教科書ですね」と言ったのもうなずけます。まさに定年後シニアの教科書ですよ。

『九十歳。何がめでたい』は佐藤愛子が90歳、卒寿を迎えた際、「まあ!おめでとうございます」と祝福され、表向きは「ありがとうございます」と返事しながらも内心は、卒寿? ナニがめでてえ!と思ったことから始まります。極私的な視線から今の世の中の納得できないことを、斬りまくります。

例えば、元大阪府知事が、日本の未来を真剣に考えるトーク番組で「バスタオルを毎日洗濯する必要があるかないか」を討論。これは、町内会の寄り合いの茶飲み話じゃないんだよ!と切り捨てます。

東海道新幹線の「のぞみ」の時速が15キロアップしましたね。東京新大阪間が3分早くなりました。これには何がめでたい。何でそう急ぐ、もっと便利に、もっと快適にもっともっとと欲望は膨張するばかりと、ズンバラリ。

犬が吠えることも騒音だとして許さなくなった今の社会。町の音はいろいろ入り混ってる方がいい。うるさいくらいの方がいい。それは我々の生活に活気がある証據だからだ。それに文句をいう人が増えてきているというのは、この国が衰弱に向う前兆のような気がする、と。

マンガを読んで大笑いしているホームレスには佐藤愛子の優しい目線が。確かにマンガは、単純に楽しめばいいのだ。表現が差別的だとか、教育上どうか、なんて話と、マンガの本質は違うよね。

ンガに大笑いしているホームレス、いいですよね。と佐藤愛子が友人にしたら、そんなんだからホームレスになるんだ、と言われたそうですがね。しかし、佐藤愛子は、だからこそ私はあの老ホームレスこそ、幸せを心に持っている人、だと思うと書いている。

そうなんだよね、一般的な意味で人生の成功者になる人はマンガの内容を、ああだこうだと分析する人かもしれない。でも、本当の意味で幸せなの感性を持っている人ってマンガを見て脳天気に笑える人じゃなかろうか?

定年後シニアは佐藤愛子を見習って本音で生きよう!

佐藤愛子は「長生きは本当にめでたいことなのか?」と、自問自答しているんですね。これは、我々定年後シニアを否応なしに、ブッスリ刺してくる言葉。せっかく偶然という名の神が与えてくれている長い人生。本当にめでたい充実した毎日を送らなくちゃね。

もう残り少ない人生です。自分の本音を大切にしましょう。そして佐藤愛子の明るさを見習っていきましょうや。暗くなったって、自分が苦しいだけ。年を取れば、健康もお金も、どんどん大変になってくるのは誰でも同じ。どうせ同じなら明るく生活したっていいじゃない。自分の率直な感情を解放しましょう。しかし説教臭くなったり、怒りでブチ切れたりはしてもしょうがない。もっと佐藤愛子を見習って老獪に生きるのは、どうでしょう。ちょっとした気になることは、気持ちがギザギザになるようなこと、一杯あります。いちいち気にして、いちいち目くじらたてたって、つまりません。

例えば、佐藤愛子の家のテレビの映りが悪くなった。いつも使っている電気屋に連絡したら、頼んでもないのにメーカーから出張修理に来た。リモコンをちょっといじっっただけで、4500円も取られたというエピソードがあります。

これ、私も似た経験があります。私の家はN通信会社と契約しているネット回線があります。その会社から、親会社からの指示で、もっと良い回線に取り替えます、と言ってきたんです。その通りにすると、月々5000円かかるんだそうな。今までは2500円ですから、いきなり倍額になる。これまでの回線と比べると何が良くなるんですか?と聞いたら、何も答えられない。これには驚いた。電気屋さんは全くの思考停止状態。老人だから、言う通りにすると、勝手に思ってる。

あまりに人を馬鹿にした対応に、帰ってもらいましたけどね。こんないい加減な世の中には違和感しかありません。

自分の責任で、自分の感覚で、感情で、ものを言いましょう! 

佐藤愛子は、人生相談については、私には回答者は務まりません、と言い切っています。生ぬるい回答ができないからなんですね。歯に衣着せぬ佐藤愛子のような率直な意見を、本当はみんな期待しているんですね。

あるパートの主婦が、アマチュアの自分の絵を並べた展示会に友達を呼んだが、誰も来てくれなかった、という相談を佐藤愛子にしています。これに佐藤愛子は、当たり前だよ、と書いているんです。

そりゃそうです。私が、大好きな馬の写真を並べて、来てくれ。と言っても馬の写真が好きな人以外には全く、意味がありません。馬の写真に感動を覚える人は、呼ばなくても、来るかもしれない。感情が動けば、人は動く。佐藤愛子のエッセイは自分の感覚をごまかさないで、率直に表現しているから、いいんです。誰かが決めたルールや屁理屈で表現してない。みんな、実は、本音で色々話したいんじゃないでしょうか?

ところが、本音を言うと、世間から指弾されそうで怖い。もう、そんなのは止めにしませんか?佐藤愛子だから言える、なんて、人任せにするのは、もういいでしょう。自分の責任で、自分の感覚で、感情で、ものを言いましょう。