近年では閉鎖されたテーマパークや鉱山などの廃墟巡りがシニアの人気を集めていますが、中でも最も有名な廃墟は長崎県の端島です。
炭鉱で栄えながら1974年以降無人島となった端島は、軍艦島の愛称でも知られています。
1.廃墟マニアの間でも一番人気
端島は長崎半島から4.5kmほど離れた海上にある島で、江戸時代から海底炭鉱の存在が知られていました。
島が三菱の所有となった明治23年以降、炭鉱開発と生活施設の整備に伴って島の周囲が段階的に埋め立てられ、面積が約3倍になります。
明治期から昭和期にかけて炭鉱採掘が活発に続けられた端島では、太平洋戦争後に従業員家族の生活環境も著しく向上しました。
最盛期の1960年には島全体の人口が5267人にも達し、人口密度が東京の9倍にも達するほど過密な住宅環境だったと伝えられています。
限られた島の敷地に最大限の人口を収容するため、大正期から鉄筋コンクリート造の高層アパートが次々と建てられていきました。
海上から島を見た様子が長崎造船所で建造中だった戦艦「土佐」に似ていたことから、端島は「軍艦島」の愛称で呼ばれるようになります。
1970年代に入ると石炭から石油へとエネルギー需要が移り、1974年の炭鉱閉山に伴って島の住民は全員島を離れていったのです。
2.上陸ツアーと周遊クルーズ
1974年を最後に無人島となった軍艦島は建造物の劣化が進み、崩壊の危険があることから長く立入禁止とされてきました。
直木賞作家・西木正明の受賞作「端島の女」には漁船をチャーターして思い出の島に上陸する女性の物語が描かれており、そのような形で人知れず上陸していた元住民の例は実際に少なくなかったと見られます。
端島は2001年に三菱マテリアルから当時の高島町へと譲渡され、高島町が長崎市に合併されたことで所有権が市に継承されました。
折からの廃墟ブームを受けて、2009年からは安全面が確保された一部の見学コースに限り端島への上陸が許可されています。
現在では軍艦島上陸ツアーや周遊クルーズが開催されており、気象条件に問題がなければ島に上陸して炭鉱関連施設の跡地や従業員住宅などを間近で見学ことが可能です。
軍艦島の周囲をクルーズ船で周遊することにより、上陸できない地点にある廃墟の貴重な風景も見られます。
3.ドルフィン桟橋から3つの見学場へ
軍艦島にはもともと船舶から容易に上陸できるような港も存在せず、古くは艀を使って命がけで上陸していたと言われています。
技術の進歩により海底から石積みの基礎を築いて作ったドルフィン桟橋からの上陸が可能になりました。
現在でも軍艦島上陸ツアーに利用されているドルフィン桟橋は悪天候の影響を受けやすく波が荒い日は上陸が難しくなりますが、年間100日程度と言われる上陸可能な日に運良く当たれば貴重な見学体験ができます。
軍艦島内の見学コースはあらかじめ決められており、ドルフィン桟橋から上陸して島南部に位置する3つの見学場を順番に回ることになります。
第1見学場では貯炭場や選炭機・第2竪坑跡など炭鉱関連施設が見られ、炭鉱会社の総合事務所に近い第2見学場も見逃せません。
第3見学場の周囲には昭和33年に完成したプールに加え、大正5年に建造された日本最古の鉄筋コンクリート造集合住宅「30号棟」など貴重な施設が現存します。
4.石炭需要激減で1974年に無人島化
端島で採掘された石炭は強粘性で良質と評判で、戦時中には年間出炭量が40万トンを上回った年もあるほど繁栄を極めました。
太平洋戦争後も1960年頃をピークに石炭需要が続き、高収入に支えられた島民の生活水準は全国平均より大幅に高かったと伝えられています。
当時はまだ一般家庭で憧れの対象とされていたカラーテレビが端島ではほぼ全世帯に普及していた他、電気冷蔵庫や電気洗濯機の普及率も高かったのです。
島には小中学校・病院や各種の店舗に加え、映画館・パチンコ店・スナックなどの娯楽施設もあって完結した都市機能が実現されていました。
東京から遠く離れた島にこのような都市空間が出現していた事実そのものが当時としては画期的でしたが、それも石炭需要という一時的な産業に支えられてこその話です。
1974年に端島炭鉱が閉山されると島は無人となり、最先端の炭鉱施設や鉄筋コンクリート住宅も廃墟と化していきました。
5.近代日本の産業遺産としても貴重
日本の近代化に大きな役割を果たしてきた端島は、無人島となって以降も建造物の大半が当時のまま残されてきました。
長年の風化作用によって一部が崩壊し、残存している施設も劣化が著しいとは言え、近代日本を象徴する建造物群が現在も残されている点に高い歴史的価値が認められます。
そうした点が評価され、2015年にユネスコの世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の中に端島炭坑も含まれました。
近代日本の産業遺産として極めて貴重な価値を持つ端島は近年の廃墟ブームにも乗り、軍艦島の愛称とともに改めて注目されるようになっています。
どこか郷愁に似た感情を掻き立てる廃墟の風景を味わう旅は、シニア世代の間でも愛好家が少なくありません。
現在は上陸が可能な端島も年ごとに風化が進んでいつまで上陸できるかわからないだけに、この貴重な風景が見られる今のうちに一度は訪れたい世界遺産です。
端島(軍艦島)が持つ独特の魅力を体感しよう
軍艦島に代表される廃墟の持つ独特の魅力は、廃墟マニアと呼ばれる人たちを引きつけてやみません。
若いうちには理解できなかった「滅びゆくものの美」も、年齢を重ねるうちには味わえるようになるものです。
廃墟に興味を持つシニアなら、軍艦島上陸ツアーや周遊クルーズが忘れられない思い出となるのは間違いありません。