高野山(和歌山県)は定年後シニアの聖地巡礼にぴったりな日本仏教の聖地

最終更新日:2017年12月25日

和歌山県高野町にある高野山は日本仏教の聖地として知られ、皇族や貴族を中心に古くから信仰を集めてきました。

現在も100を超える寺院が密集する高野山は、年間約200万人の観光客が参拝に訪れる宗教都市です。

1.世界遺産にも登録された真言密教の聖地

金剛峯寺の山号でもある高野山は、平安時代初期に空海が開創して以来1200年という長い歴史を持ちます。

地名としての高野山は八葉の峰と呼ばれる1000m級の山々に囲まれた標高800mほどの高原で、高野山という独立峰が存在するわけではありません。

8つの峰々に囲まれた高野山は蓮の花にも喩えられ、いかにも仏教の聖地に相応しい地形です。

広大な高野山はいくつかの地区に分けられますが、このうち大門・壇場伽藍・本山・奥の院・徳川家霊台・金剛三昧院の6地区は国の史跡にも指定されました。

これらの6地区は町石道・黒河道・女人道・京大坂道不動坂・三谷坂という5つの高野山参詣道とともにユネスコの世界遺産に登録されています。

真言密教の聖地としても知られた高野山は古くから天皇家や藤原氏に信仰されてきましたが、弘法大師空海の入定信仰が生まれた平安時代中期以降は庶民の間でも巡礼に訪れる人が絶えなかったのです。

2.境内の6カ所が国の史跡に指定

高野山には100を超える寺院が集まっていますが、その中でも中心となるのは一段高い位置にある壇上伽藍です。

壇上伽藍は高野山を開創した空海が最初に伽藍を築いた場所で、胎蔵曼荼羅の世界観を再現した数多くの伽藍が展開されてきました。

壇上伽藍は江戸時代後期の大火で大半が焼失しましたが、明神社や山王院・西塔など江戸時代以前に建てられ国の重要文化財に指定された建造物も残されています。

本堂に相当する金堂は昭和初期に再建された建造物で、著名な彫刻家の高村光雲が彫った薬師如来を本尊とします。

室町時代に再建された不動堂は国宝にも指定されており、壇上伽藍の中で最も古い建造物です。

この他にも六角経蔵や孔雀堂・准胝堂・根本大塔・愛染堂など、壇上伽藍では数多くの堂塔を見ることができます。

如法上人が昇天したと伝わる登天の松や祈親上人が植えたとされる逆差しの藤、縁起物として落ち葉を持ち帰るのが習わしとなっている三鈷の松など、境内にも見どころは盛りだくさんです。

3.高野山を開創した空海の入定信仰

弘法大師の諡号でも有名な平安初期の僧・空海は遣唐使の留学僧として唐で密教を学び、帰国後に真言密教の教えを日本に広めた人物です。

空海は嵯峨天皇から下賜された高野山を修禅の道場と定め、それまで狩人や山民が支配していたような山中に苦心して伽藍を建立しました。

「三教指帰」に代表される仏教書や漢詩文集「性霊集」など多数の著書でも知られる空海は58歳で高野山に隠遁し、数え年62歳で入滅したと伝えられています。

嵯峨天皇・橘逸勢と並ぶ三筆としても著名な空海は没後に伝説的人物となり、即身成仏を遂げたとする入定信仰が生まれました。

永遠の瞑想に入ることを意味する入定は、真言密教にとって究極の修行です。

高野山では現在も空海が奥の院の御廟で瞑想を続けているとされているため、生身供という儀式を通じて維那と呼ばれる仕侍僧が毎日2回の食事を給仕しています。

4.空海が今も瞑想を続ける奥の院の御廟

今なお御廟で空海が瞑想を続けているとされる奥の院は、高野山でも壇上伽藍と並ぶ2大聖地の1つです。

壇上伽藍から奥の院へ至るには清浄心院を過ぎたあたりで国道371号線から奥の院入口へと入り、一の橋を渡ってさらに2kmほど進むことになります。

一の橋から奥の院までの参道脇には20万基とも言われる多数の墓石が並び、上杉謙信・景勝霊屋や織田信長供養塔・浅野内匠頭墓所などが点在しています。

諸大名など歴史上の著名な人物の墓所や供養塔を見ながら進んでいくと、御廟橋を渡った先に見えてくるのが弘法大師御廟です。

御廟橋から先は撮影が禁止されているほどの聖域で、橋を渡る際には一礼または合掌するのが作法とされます。

御廟の手前にある燈籠堂には無数の燈籠が並ぶ地下室があり、一般の人が入れない御廟に代わって弘法大師を参拝できる祭壇が設けられています。

燈籠堂でお守りとして販売される御衣切は、毎年1回弘法大師の衣替えの際に使われた衣を細かく切ったものです。

5.高野山の参詣道とアクセス方法

高野山には以上のような壇上伽藍エリアや奥の院エリアの他に金剛峯寺エリアがあり、広さ5000坪にも及ぶ国内最大級の石庭・蟠龍庭も見逃せません。

高野山に通じる参詣道には、古くから高野七口と呼ばれる7つの入口が設けられてきました。

高野山は明治5年まで女人禁制だったため高野七口にはそれぞれ女人堂が建てられ、女性の信徒はそのお堂までしか立ち入ることができなかったのです。

大門口・黒河口・不動坂口・大滝口・大峰口・龍神口・相ノ浦口からなる高野七口の中で、不動坂口には現存する唯一の女人堂があります。

南海高野線の極楽橋駅からケーブルカーに乗り換え、高野山駅からバスで女人堂前まで移動するのが高野山への一般的なアクセス方法です。

高野山駅から女人堂手前までの道路はバス専用のため、大半の一般車両は国道480号線経由で大門から高野山に入っています。

高野山ではおよそ半数に当たる52の寺が宿坊として利用されており、修行体験ができる場としても人気が高まっています。

100以上の寺院と200万人の観光客が集まる「高野山」

近年ではパワースポットブームに乗って若い女性にも神社仏閣の人気が高まっていますが、古寺社巡りを趣味とするシニアなら人生で一度は高野山を訪れたいものです。

壇上伽藍から奥の院まで高野山の各所はバスで移動も可能とは言え、健脚自慢のシニアの中は徒歩で移動した方が聖地らしい荘厳な空気を肌で味わうことができます。