定年後シニアの読書『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か 』米原 万里(著)コミュニケーションを最優先とした通訳の仕方に感動

最終更新日:2017年10月12日

ロシア語同時通訳としての本業に加えて作家としても活躍した米原万里は、2006年に56歳の若さで亡くなりました。

彼女が残した著作の中でも、「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」は今も読み継がれるエッセイの名作です。

1.通訳を徹底分析した名作エッセイ

ロシア語同時通訳の第一人者と言われた米原万里は、通訳者としての自身の体験と持論を踏まえて1994年に「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」を出版しました。

このエッセイ集は第46回読売文学賞の随筆・紀行賞の受賞作でもあります。

同時通訳という仕事の内幕を暴露しつつ、失敗談や下ネタなども交えながらユーモラスに通訳論を展開したのが「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」の主な内容です。

これ以降に作家としても活躍することになる米原万里独特の文章センスは、出世作となったこのエッセイですでに確立されていました。

多彩な題材を縦横無尽に斬りまくったエッセイから重厚な社会派小説まで、米原万里は幅広い作風の作品を数多く残しています。

その中でも「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」は自身が本業とした同時通訳に関する深い考察に裏付けられており、米原節とも呼ばれた独特の文章スタイルが一段と冴えている1冊です。

2.「不実な美女」と「貞淑な醜女」の意味

この一風変わったタイトルは、通訳の訳文を女性の美醜になぞらえて表現したものです。

「不実な美女」というのは美しい訳文でありながら原文に忠実でない例で、「貞淑な醜女」とは訳文が正確でも文章がぎこちない例を意味します。

この他に「貞淑な美女」「不実な醜女」という組み合わせも考えられますが、米原万里は主に「不実な美女」と「貞淑な醜女」にターゲットを絞って通訳論を展開しています。

原文への忠実さは必ずしも訳文としての流暢さにつながらないため、正確な訳文を心がければ心がけるほど文章の美しさが損なわれてしまうというジレンマがあります。

米原万里自身は自らを「不実な美女」タイプと認識しており、相手に真意を伝えるためには不要な言葉をばっさり切り捨てることも厭いません。

コミュニケーションを最優先とした通訳を心がけていたからこそ、彼女はロシア語同時通訳として史上最強と称えられていたのです。

3.通訳と言語に対する深い洞察

通訳の真髄を女性の美醜に喩えて語った「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」は、通訳論にとどまらず一級の言語論の様相も呈しています。

実際に通訳や翻訳の職業に就いている人にとっては実戦的にも役立つ本ですが、そうした仕事と無縁の人でも読書の楽しさが味わえる1冊です。

現在でも新刊で購入できる文庫本にして300ページ余りの分量を持つこのエッセイは、プロローグとエピローグの間に5つの章が設定されています。

通訳と翻訳の共通点を挙げる一方では両者の違いにも着目し、通訳特有の難しさに言及する中で言語の本質までが語られていくのです。

「外国語の力もまた母語の能力に左右されるということだ」というくだりには、通訳という仕事の奥深さが象徴されています。

4.多くの文学賞を受賞した文章術

米原万里は小学生時代に父親の仕事の関係でチェコスロバキアのプラハに渡り、14歳までの5年間現地のソビエト大使館付属学校でロシア語の授業を受けた経験を持っています。

有名な「プラハの春」事件が起きる4年前に日本へ帰国した彼女は、大学でもロシア語を専攻してロシア語講師から通訳の仕事へと進んでいきました。

米原万里は同時通訳として活躍する傍ら1990年代半ばからは作家生活もスタートさせ、数々のエッセイやノンフィクション作品を書き上げます。

「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」の他にも講談社エッセイ賞を受賞した「魔女の1ダース」など、エッセイは彼女が最も得意としたジャンルです。

大宅壮一ノンフィクション賞受賞作の「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、ドゥマゴ文学賞を受賞した長編小説「オリガ・モリソヴナの反語法」も含め、数々の文学賞に輝いた米原万里の文章術は現在も高く評価されています。

5.没後も愛読される文章の達人

多彩な文学ジャンルの著作を次々と発表してきた文章の達人も、病には勝てませんでした。

作家業の傍らテレビにも多く出演して得意の毒舌をふるっていた米原万里でしたが、2006年に卵巣がんのため56歳という若さで世を去ったのです。

同時通訳という仕事の枠を大きく越えて米原万里がこれだけ多くの人に愛されてきたのも、「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」を始めとする名著の数々が広く読まれてきたからにほかなりません。

その死後も選りすぐりのエッセイ集出版が相次いでおり、米原節と呼ばれた唯一無二の個性的な文章が多くの読者に愛好されてきました。

そんな作家・米原万里の原点とも言える名エッセイ「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」は、普段何気なく使っている言葉の持つ意義やコミュニケーションの難しさを再認識する上でも最適な1冊です。

これを読んで米原万里の面白さに目覚め、他の著作も読み始めたという人も少なくありません。

独特な文章が魅力の「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」

没後10年以上を経た今も根強い人気を誇る米原万里のエッセイは、他の書き手が真似しようとしてもなかなか真似できる文章ではありません。

作者の死後も言葉が生き生きと躍動し続け、読者を長く楽しませてくれる点が本の良さと言えます。

「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」はそんな米原万里の魅力がいっぱいに詰まったエッセイです。