ロシアの作家ドストエフスキーは、小説好きならたいていの人が名前を知っているほど有名な文豪です。
彼が最後に書いた大作「カラマーゾフの兄弟」は、文学史に残る金字塔として世界の人々に長く愛読されてきました。
1.雄大な構想と深淵な思想が融合
1980年に「カラマーゾフの兄弟」が出版された翌年、文豪ドストエフスキーは59歳で生涯を終えています。
全13編から成るこの雄大な長編は、数々の名作を残してきたドストエフスキーにとって文字通りの絶筆となったのです。
ドストエフスキーの作品では「罪と罰」も有名ですが、作品の規模という点では「カラマーゾフの兄弟」が上回ります。
この作品は日本でも明治時代から広く親しまれ、内田魯庵訳を始めとして数多くの日本語訳版が出版されてきました。
古くから文庫本も発売されているため学生でも手軽に読めますが、文庫版はたいてい4分冊となっており、合計1500ページを超える大冊です。
全編を読み通すのに長時間を費やすことから、若い頃に読もうとしながらなかなか読む機会がなかったという中高年の人も少なくありません。
雄大な構想と深遠な思想が高度に融合されたこの超大作は、人生のどの時期に読んでも大きな感銘を得られるものです。
2.ミステリーの要素も持つストーリー構成
ドストエフスキーの作風は重厚長大の典型とも見なされているため取っつきにくいように感じられますが、「カラマーゾフの兄弟」にはページをめくる手を加速させる仕掛けが施されています。
ストーリーの軸となるのはタイトル通りカラマーゾフ家に生まれた3兄弟ですが、作中で起きた父親の殺人事件をめぐる展開はミステリー小説としても読めるのです。
長男アレクセイは直情径行を持つ野性的人物として描かれ、無神論者で虚無的な次男イワンや純真無垢な三男アリョーシャともに三者三様の性格の持ち主です。
キャラクター造形が明確な彼ら3兄弟は、貪欲で好色家の父フョードルからの遺伝的気質を何らかの形で受け継いでいます。
現在はカラマーゾフ家の使用人として扱われているスメルジャコフは屈折した性格の持ち主ですが、フョードルが妻以外の女性に産ませた私生児でした。
実質的に4兄弟と言える彼らはそれぞれ父親を殺す動機を持っており、誰が父親を殺したのかという謎に対する興味が読者を強く引っ張っていくのです。
3.父親殺しの主題と信仰の問題
一種の推理小説としても読める「カラマーゾフの兄弟」で最大の読みどころは、単なる犯人探しの謎解きではなくもっと別の部分にあります。
父親殺しの主題には複雑に錯綜した家族間の愛憎という背景が深く関わっており、事件の真相が解明されていく過程では宗教的な思想性も深く掘り下げられていきます。
特に次男イワンが三男アリョーシャに語り聞かせる形で挿入された作中作の「大審問官」という劇詩は、ドストエフスキーの思想が凝縮された部分として見逃せません。
アリョーシャの背後には修道院で彼が敬愛するゾシマ長老の存在があり、「大審問官」は無神論者のイワンが旧来のキリスト教的宗教観を否定する構図となっています。
少しでも思想やキリスト教に関心を持つ読者にとって、「大審問官」を中心に宗教的テーマを徹底追求したこれらの展開は特に読み応えのある個所です。
長男アレクセイが最終的に取った行動にも、キリスト的な自己犠牲の精神を読み取ることができます。
4.人間の内面を追求した作者の総決算
「カラマーゾフの兄弟」と同様に殺人が重要なモチーフとして登場する「罪と罰」では、罪の意識から贖罪へと至る精神の気高さが主要なテーマでした。
小説という表現形式を通じてこうした人間の内面を克明に追求してきたドストエフスキーにとって、キリスト教の信仰と個人の精神との関係は避けることができない最も重要なテーマです。
当時のロシアは貧困や社会的格差の拡大といった問題が噴出する中で、ロシア正教会の矛盾も表面化していた時代でした。
社会の近代化に伴う個人の精神の変革を、晩年のドストエフスキーは宗教の観点から追求しようと試みたのです。
「カラマーゾフの兄弟」はその集大成として完成されましたが、ドストエフスキーはこの大作だけでは満足せず、続編の構想も抱いていたと言われています。
その続編は三男のアリョーシャを主人公として書かれる予定だったことが研究で明らかにされていますが、作者の死によって実現しませんでした。
5.最大級の読書体験が得られる超大作
作者が構想を温めていた続編こそ果たされませんでしたが、現存する「カラマーゾフの兄弟」だけでも読み通すのが大変なほどの超大作です。
その内容や文章も決して読みやすいように配慮されて書かれているわけではありません。
そうした壁を乗り越えて無事に最後まで読み切った人には、他の作品では決して得られない稀有の読書体験が約束されています。
これだけの大作を読み通したという達成感だけでなく、「カラマーゾフの兄弟」だけが持つ文学と思想の高みを極めた体験は一生の財産となります。
後世の作家や多方面の芸術家・思想家にも多大な影響を与えてきた作品だけに、「カラマーゾフの兄弟」はたびたび映画化や舞台化・テレビドラマドラマ化もされてきました。
それらを通じて間接的に作品のあらすじを知ることもできますが、原作の小説には通読した人だけが知ることのできる文学としての価値が秘められているのです。
人生経験を積んだ今だからこそ「カラマーゾフの兄弟」を読もう
「カラマーゾフの兄弟」を山に例えるなら、世界最高峰のエベレストにも匹敵します。
若い頃に読もうとして途中で挫折した人も、人生経験と知識を身につけた今ならこの超大作を読むための敷居も低くなっているはずです。
人生の中で一度でも「カラマーゾフの兄弟」を読み切った経験を持てば、その後の人生も違ってくるものです。