『定年後の楽園の見つけ方』に掲載、67歳の元銀行マンが17歳のフィリピン花嫁を得た経緯
日本人の男性の平均寿命は80.98歳となりました。まあ健康寿命は70歳強ではありますが。
60歳で定年になっても20年近い自由時間があるわけで、定年後のシニアの過ごし方・セカンドライフがより一層大事になってきています。
どんな定年後のシニアライフを送るのか、選択肢はいくらでもあります。朝から好きなだけ酒を飲んで酔生夢死をするのも、競馬に競艇、競輪、オートレース、麻雀等の材米のギャンブル浸けだって、構いません。人様に迷惑さえかけなければ全くの自由です。
しかし、みんなが憧れるセカンドライフとなると別です。その一つとして海外で第二の人生を楽しむと言うのがありますね。
もちろん、定年後シニアの海外でのセカンドライフはそれほど簡単に実現できるわけではありません。もし実現できたとしても、その後がずーっと幸せにいくかというとそうとも限りません。
典型的なのは日本のフィリピン・パブで若い美人ホステスにのめり込み、ビザの関係で一時帰国する彼女たちを、フィリピンまで追いかけていく定年後シニア達。
彼らはフィリピンで彼女の家族や親戚たちにお金をむしり取られ、一文無しとなって孤独死したり、日本に帰る飛行機代さえなく路上生活に陥ったりする。カネの切れ目はセックスの切れ目というのが露骨に示されています。
これは最近はやりのタイパブでも同様のことがたくさん起きている。
そんな中、『定年後の楽園の見つけ方 海外移住成功のヒント』という本には定年後シニアの海外セカンドライフの成功例がいろいろ紹介されている。
その中の一人、元銀行マン・野田誠一さん(仮名)は、50歳下の美人(17歳)フィリピン人女性と結婚。
定年後シニア67歳の野田さんは、どうして17歳の美女と結婚できたのだろう?
野田さんはフィリピンパブにはまった口ではない。現在フィリピンのボホール島に住む野田さんは元銀行マンで海外転勤を9年近く経験していたそうだ。
彼は定年になり「南洋の楽園」でセカンドライフを送ることを決め、日本で義母の世話をしている奥さんを残し、東南アジアに定年後の楽園の候補地を見つけに旅立つ。
野田さんが訪れたのはタイにベトナムそしてフィリピンだった。そして最終的に定年後の楽園になぜフィリピンを選んだのかと言うと、第2次世界大戦で父親がフィリピンで戦死していたからだとのこと。
そんな深い因縁があり、今でも結構物騒なイメージがあるフィリピンだが、今の実際のフィリピンではNHkの大河ドラマや大相撲中継をリアルタイムで観ることができるし、気候は温暖で物価が安く、とても暮らしやすいということだ。
読書好きの野田さんは読書三昧の日々をフィリピンで送り出したが、奥さんがやって来ない。それは義母が奥さんのフィリピン行きに大反対したのが原因だった。結局、奥さんもフィリピン移住に後ろ向きとなり、なんと離婚話が吹き出して離婚届に判を押すことになってしまう。
17歳のフィリピン花嫁はメイドの女子高生だった!
野田さんは奥さんと離婚し、2人で定年後の楽園生活をフィリピンで過ごす計画は頓挫してしまう。全くの一人となった野田さんとフィリピンの家で同居していたのが女子高生のアイリーンだった。アイリーンの父親は3年前に亡くなり、残された4人の娘の養育に疲れ果てた母親は、アイリーンを教会に預ける。
アイリーンを預けられた教会は男やもめの野田さんに目をつけた。アイリーンをメイドにしてくれと神父に頼まれた野田さん、彼女を同居させた上で、学校にも通わせることにする。
多くのフィリピン人女性が派手好きで浪費好き、一癖ある性格なのに比べ、アイリーンは控えめで素直な性質だった。しかも勉強もメイドとしての仕事もきちんとする。色が白くて日本人にも見えなくはない美少女だった。
50歳も歳が違うアイリーンは、野田さんにとっては、まるでやさしい孫のようだった。しかし野田さんが奥さんと離婚したことを話すと、アイリーンの素振りが変わってきたらしい。野田さんを男として意識し始めたアイリーンは時折野田さんにボディタッチをしたり、甘えてくるようになる。
まるで日本人のような美少女に毎日おしとやかに迫られて陥落しない男はいないだろう。枯れかかった木と自称する野田さんにも恋の炎が燃え上がる。アイリーンの学校が長期休暇に入ると、2人はマニラや白いサンゴ礁の浜辺で世界的に人気の高いボラカイ島に旅行する。旅行先で同じ部屋で寝ることになった2人は自然と結ばれ、アイリーンは妊娠することとなる。
野田さんは定年後シニアの私たちにこんなメッセージを投げている。世の中、まわりを見ると我慢して生きている人が多すぎますね。ま、それをやめた結果です。
確かに一理ある。定年後シニアに残されたセカンドライフの時間は短いのだ。その後に待っているのは身体と心の衰えと、確実な死だ。この運命は誰も逃れることは出来ない。最早、我慢をしている時間は無いのかもしれない。
定年後シニアは流されて生きず、しなかったことへの後悔を持たないように・・・
50再年下のアイリーンは結婚して子供を産んで強くなったようだ。生活の主導権はすっかり持っていかれ、野田さんが育児などで口を出してもにっこり笑って従わず、自分の流儀を譲らないそうだ。
フィリピンはカカア天下で有名な国でもある。老いては妻に従うのも悪くはなさそうだ。なにしろ相手は美人で若い。しかも、よくある話のようにアイリーンの家族や親戚たちにお金を全て奪われてもいないようだ。
100キロ離れた所に住んでいるアイリーンの家族たちとはつかず離れずの関係、毎月2万ぺソ(約4万円)だけ送金しているんだとか。
野ださんは定年後に楽園を探して東アジアに旅立ち、50歳下の美人花嫁を手に入れた。このまま流されていたくない、しなかったことへの後悔で死にたくないと言う強い思いが我慢の人生から飛び立たせたのだ。
ある医師の報告によると、死を迎えた人の一番の後悔は、もっと冒険すれば良かった!ということだそうだ。
定年後シニアの我々にも、まだ冒険する時間は残っている。我慢を越えて、思い切り、墜落することも想定に入れた上で、羽ばたきますか!?