「子供は純真無垢で無邪気なもの」というイメージが大方の人に染みついているがゆえに、それが裏切られた時のショックと恐怖はひとしおです。
「無邪気」を装う可愛らしい子供に垣間見る「邪気」は、そのギャップによってよりどす黒く、より悪質に感じられるからです。
映画作品においても、「邪悪な子供」はしばしば描かれます。
70年代に大ヒットした「オーメン」を始め、「ホームアローン」で大人気となったマコーレー・カルキン主演の「危険な遊び」などもありますが、2000年代では、やはりこの「エスター」こそが「邪悪な子供」映画の代表作と言って良いのではないでしょうか。
1.作品のあらすじ
待ちわびた三人目の子供を死産してしまったケイト・コールマンは、そのショックからなかなか立ちなおれません。
そんな妻に生きる希望を与えるため、夫のジョン・コールマンは、妻に養子縁組を提案。
引き取ったのは、大人びた雰囲気を持つ9歳の少女、エスターでした。
エスターを引き取って以降、孤児院のシスターの不審死、同級生女児の転落事件など、コールマン家周辺で様々な厄災が勃発します。
厄災の元凶はエスターにあると最初に疑い始めたのは、誰よりも三人目の子供を望んでいたケイトでした。
しかし、夫のジョンも義母もカウンセラーも、精神的に不安定なケイトの言葉には耳を傾けてくれません。
さらに、エスターの義兄のダニエルも、義妹のマックスも、すっかりエスターに手綱を握られ、「助けて」という声をあげられずにおりました。
そんな風にエスターの犯行がエスカレートする中で、ケイトは、彼女に関する衝撃的な真実を知ることとなります。
2.主要登場人物
(エスター)
身よりのないエスターは、遠くロシアからアメリカの家族に引き取られましたが、火災により一家は焼死。
エスターだけが生き残り、一旦孤児院に預けられます。
そして、再びコールマン家に幼女として引き取られることになりました。
彼女は「今どき」ではない古風なワンピースを身に着けており、そのことをクラスメイトに揶揄されますが、他の服装の着用はがんとして受け付けません。
さらに首と手首には、常に黒いリボンを巻きつけています。
そんな風変りで奇妙な彼女の雰囲気は、だんだん「個性」という言葉では片づけられないレベルの異様さを放ち始めるのです。
(ケイト)
三人目の子供を死産したショックで一旦はアルコール依存症にまでなってしまいますが、マックスの事故に責任を感じて断酒します。
その後、三人目の子供に与えるはずだった愛情を、それを求めている誰かに与えたいという思いから、養子縁組を決断。
エスターを引き取ることになります。
(ジョン)
ケイトの夫。
優しく心の広い家族の大黒柱であり、エスターに対しては誰よりも理解を見せます。
しかしその善意を見透かされ、エスターにとことんまでつけ入られてしまうのでした。
(ダニエル)
コールマン家の長男であり、エスターの義兄。
風変りな義妹のエスターを嫌い、最初から対立姿勢を見せます。
しかし、もとよりエスターの方が何枚も上(うわ)手なため、すぐ形勢は不利に。
最終的には、義妹の脅威に抵抗出来ない事態に追い込まれます。
(マックス)
エスターの義妹。
生まれつき、聴覚に障害を持っています。
義姉のエスターとは対照的に、まるで天使のような無邪気で愛らしい少女です。
しかし、その純粋さや素直さが仇となり、いつしかエスターの悪事に加担させられるようになります。
3.サスペンスとしての見どころ
序盤から、エスターは非常に妖しげな雰囲気を漂わせているので、予告編のキャッチコピーにあるように「この娘、どこかが変だ」ということは、誰でもすぐ気づきます。
さらに、どの事件においても、エスターが手を下している様子がそのまま描かれています。
ゆえにこの作品は、「フーダニット」式の謎解きミステリーではありません。
では一体、何がサスペンスなのでしょうか? それは、「お前は何者なんだ?」という、この一点に尽きます。
エスターの持っている古い聖書にはさまれた写真、首と手首に巻かれた黒いリボン、頑なに拒む「歯医者さん行き」などなど、全編にわたって数々の謎はちりばめられていますが、それらヒントから真相に辿りつける観客は、そうとう少ないでしょう。
もちろん最大の見どころは、「お前は何者なんだ?」の答えが明かされる瞬間です。
映画をご覧になっていない人にとっても、「エスター」と言えば「どんでん返し」が有名であることはご存知かもしれませんが、確かにこのオチはかなり珍しいです。
普通の人はけっして思いつかないようなオチなので、騙されても悔しいとすら思わないかもしれません。
4.ホラーとしての見どころ
この映画の「恐怖」を盛り上げている最大のポイントは、やっぱりエスターの「顔」でしょう。
エスターは、はっきりとした顔立ちの美形で、表情は一貫してキリッとクール。
「ロシアから来た少女」という肩書にぴったりです。
すべてを見透かしているような黒目がちの大きな瞳がとても印象的ですが、そこに人間らしい愛情や悲しみは見てとることが出来ません。
まさにサイコパス。
どこまで行っても「己」が世界の中心であり、自分の痛みにはやたら敏感ですが、他者の痛みにはまったく動じません。
というよりむしろ、「他者の痛みは己の快楽」といった向きも。
追い詰められている相手を眺める時のエスターは、恍惚としているようにも見えます。
そんな「行動のすべては自分のためですけど何か?」といった憮然としたサディスティックな表情が、だんだん魅力的に見えてくるから不思議です。
5.まとめ ―本当に恐ろしいこととは?―
コールマン一家も、エスターが来るまでは、とても絆の強そうな愛情に満ちた家族に見えました。
もちろん、子供の死産というのは不幸な出来事があり、そのことによってケイトの精神状態も一時的に不安定になってしまったでしょう。
しかし、そんなケイトに夫は理解を示し、子供たちも、小さいなりに精いっぱい母親を支えています。
色々あってもコールマン一家は、愛に溢れた幸せな家族だったと言って良いと思われます。
しかし、エスターという「悪の種」がこの一家に蒔かれた瞬間から、一気にほころびが露呈し始めます。
そして、それまで築き上げた「家族愛」などこれっぽっちも武器にはならず、あっという間に悪の根が張り巡らされていまいました。
美しく見える「家族愛」も、崩れる時は一瞬です。
平和な時に信じているものなんて、いざとなれば、簡単に裏返ってしまうものなのかもしれません。
エスターの恐ろしさもさることながら、そんな人間の弱さや絆の脆さの方にもまた、どうしようもなく薄ら寒い恐怖を感じてしまう映画です。