明治から昭和にかけて活躍した文豪の谷崎潤一郎は、「細雪」「春琴抄」など数多くの名作小説を残してきました。
そんな谷崎が昭和8年に書いた「陰翳礼讃」は、日本文化を論じた文章として現代的意義を持つ名随筆です。
定年後シニアが自分の来し方やセカンドライフに思いを致すのに最適です。
1.陰翳の観点から日本文化を考察
今から80年以上も前に書かれた随筆でありながら、「陰翳礼讃」は現在でも新刊で購入可能な文庫本が複数社から出版されています。
400字詰原稿用紙に換算すれば80枚ほどの分量だけに、文庫レーベルごとに異なる随筆作品や評論と合わせて収録されています。
作者の没後50年以上を経過しているため作品の著作権も切れており、「陰翳礼讃」は無料の電子書籍でも読めます。
しかし独自の視点から日本文化を論じたこの文章は、紙の本で読めば味わいも深いものです。紙の本はやはり、老眼には優しいですね。
日本文化に関する考察は日本人の作家や評論家・学者だけでなく、海外の日本研究者にも数多く書かれてきました。
そうした中でも谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」は光と陰の対比という観点から日本的な生活風俗を論じており、小説家ならではの鋭敏な感性が随所に発揮されています。
大正期にはモダンな西洋的生活様式を好んでいた谷崎が、関東大震災後に関西へ移住したのを契機に日本の伝統文化へと傾倒していった様子がこの随筆にも反映されているのです。
定年後シニアも定年を機会に日本の伝統文化への接触を増やしていくことは、有意義です。
2.和風の伝統生活と近代文明との対比
「陰翳礼讃」は純和風の住宅と電燈や電気製品との関係について考察した最初の章を皮切りに、全体が16の章に分かれています。
章ごとに電気製品や調度類・厠・器といった題材を取り上げ、洋風の生活様式や近代文明の産物に対する和風の良さがそれぞれ対比されていきます。
「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である」として書院に代表される日本建築の美を論じた章は、谷崎潤一郎の美意識が如実に表現された部分です。
話はそこから能楽や文楽の芝居にも及び、多方面からの日本文化論が展開されていきます。
「蝋燭からランプに、ランプから瓦斯燈に、瓦斯燈から電燈にと」明るさを求めていったのが作者の解する西洋文化です。
これに対して「光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する」のを東洋の伝統と考えた作者は、「試しに電燈を消してみることだ」の一文でこの随筆を結んでいます。
この考え方は定年後シニアにも参考になります。今までの忙しい会社生活は終わりました。目をつぶり、瞑想して、自分が本当に大事にしたい価値観、夢、本心に沈潜するべき時です。
3.建築やデザインの分野でも国際的評価
陰翳のある日本家屋の暮らしを礼賛した「陰翳礼讃」は、建築やデザインといった美術分野を学ぶ人たちのバイブルとも言われています。
「陰翳礼讃」はアメリカやフランスに翻訳され、欧米の知識人たちにも高く評価されてきました。
日本の伝統建築に関する部分では、厠について考察した章に谷崎潤一郎らしい個性が出ています。
西洋でのトイレは不浄な場所としてネガティブなイメージに見られがちですが、「実に精神が安まるように出来ている」日本の厠は生理的快感を味わう目的で風流に作られていると言うのです。
同様の感性は漆器の持つぬくもりについて書かれた部分にも遺憾なく発揮されており、「スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何と云う相違か」と表現した西洋食器と対比させています。
日本人の大半が西洋的な生活様式を日常的に取り入れるようになった今日では失われつつある和風の伝統が、「陰翳礼讃」の中に生き生きと息づいているのです。
4.独自の美意識を持ち続けた文豪
このようにして和風生活の良さを称えた谷崎潤一郎も、「陰翳礼讃」を執筆する以前はむしろ洋風家屋に住んでいたほどハイカラを好んでいました。
嗜虐的な少女ナオミに惹かれる中年男の破滅的な愛を描いた長編小説「痴人の愛」を書いた当時は関東大震災の直後。
自宅が類焼した谷崎潤一郎は東京を去って京都から神戸へと関西での移住を繰り返していた時期でした。
この間に合計13回も引っ越したという谷崎潤一郎の住んだ旧邸の中でも、「細雪」の舞台となったことで知られる倚松庵は「陰翳礼讃」の面影が濃厚に残された家です。
大半は借家住まいだった谷崎にとって、唯一の持ち家だった邸宅は自身で設計した鎖瀾閣でした。
この邸宅は残念ながら阪神淡路大震災で全壊してしまいましたが、現在は復元計画が進められています。
独自の美意識に基づいた名作小説の数々を残したこの文豪は、日常生活を送る住居空間にも徹底したこだわりを持っていたのです。
5.日本文化の美を文章で味わう
「陰翳礼讃」を書いた昭和8年から9年以降の谷崎は古典文学への傾倒を深めていき、「潤一郎訳源氏物語」完成を経て自身の集大成となる「細雪」執筆に着手します。
戦時中も殺伐とした時代風潮に流されずマイペースで書き続けられた大作「細雪」は、日本的な生活様式の美しさの極致が追求された作品です。
特異とも言える谷崎潤一郎の美意識を随筆の形でわかりやすく表現した「陰翳礼讃」は、「細雪」に代表される谷崎作品を読み解くためのヒントが詰まっています。
日本文化の美を文章で味わう上ではそうした小説作品を極上とする見方もありますが、美意識のエッセンスを凝縮させた随筆「陰翳礼讃」にも独特の味わいがあります。
この上なく想像力をかき立ててくれる谷崎潤一郎らしい文章を読みながら、失われつつある日本らしい暮らしを追想するのも贅沢な読書体験です。
思えば、我々が生まれた60年ほど前、日本のそこここには、火鉢も、囲炉裏、神棚など情緒に満ちた日本の文化が残っていました。
古風な和の生活様式が楽しめる「陰翳礼讃」
谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」を書いた80年余り前の時点では、日本の至るところに和風の生活様式が残されていたものと想像されます。
それでも作者は日本的な陰翳の世界が失われつつあることを嘆き、「せめて文学の領域へでも呼び返してみたい」と結んだのです。
古き良き陰翳の世界を文学の上で味わうのに「陰翳礼讃」は最適な作品です。定年後シニアが戻っていくべき、陰影の世界にじっくりと浸りましょう。