ホタルイカの身投げと呼ばれる幻想的な光景を目にすることができるのは、唯一、富山湾東部の沿岸地域です。
春、闇夜のなかから、とつぜん青白い光を放つホタルイカの大きな群れをなして、海岸に押し寄せてくるのです。
1.青の海を生きる青白い光
ホタルイカが光を放つ理由のひとつが外敵から身を隠すためです。
ホタルイカは、日中は深海で生息し、夜には海面近くまで浮かび上がってきます。
日中、海中で光ることによって、海面から射し込んでくる太陽の光のなかでも影をつくらず、光のなかへ紛れることができます。
夜になると、海面近くにまで浮かび上がってくると、夜空に呼応して光を放ち、月の光を反射する波間に身を隠すことができます。
他の光は水に吸収されますが、青い光だけは吸収されず、いろいろな方向に進んでいき、そのために海は青く見えます。
外敵から身を隠し、ときに威嚇し、仲間たちとコミュニケーションをとる。
青白い光は、青を深めていく海中でホタルイカが生きぬくための光です。
2.死と再生の物語
ホタルイカの身投げは、産卵の最盛期である4~5月にまれに見られる現象です。
産卵のために沿岸部まで近づいてきたホタルイカの群れは、ときに波に押し寄せられ、やがて岸に打ち上げらます。
次の世代を残すためにやってきたホタルイカが産卵した後、岸に打ち上げられて生を終える。
そこに死と再生の物語を見て、人々はホタルイカの身投げと呼ぶようになったのでしょう。
闇夜の海面一面に、青白い光が次々に流れてきます。
無限と思えるほどの広がりです。
海に入り、光のなかにタモ網を入れると、いくらでもすくい取ることができます。
幻想的な光景に感動し、すくいとることに夢中なり、水の冷たさも忘れ、まさに我を忘れてしまいます。
光に吸い込まれ、自然と一体化するような感覚にもなります。
幻想的な光景は、思いがけない自然からの贈り物であり、人々は改めて自然を畏怖し、感謝してきたはずです。
3.豊穣の富山湾ならではの春の風物詩
現在では、富山湾以外でもホタルイカが漁獲されるようなりましたが、古くから漁業として成立し、そしてホタルイカの身投げが見られるのは富山湾東部のみです。
これは富山湾ならではの地形に関係しています。
富山湾は浅瀬が少なく、急激に深くなっていき、しかも海底の地形も変化に富み、潮の流れも複雑です。
この傾向は湾東部で顕著です。
富山湾東部の沿岸はホタルイカの生息域に近かったのです。
そして湾には多様な環境があるために、多種多様な生物が生息できる豊穣さがありました。
富山湾では日本に生息する魚種の半分以上が住んでいます。
豊穣の海はホタルイカにとっても適地だったのす。
4.いまだ謎である神秘の身投げ
神秘的で美しい光は、かつてから国内外の注目を集め、多くのホタルイカ研究がなされてきました。
しかし日中は深海に生息することもあり、いまだに謎が多いのも事実です。
そのためホタルイカの身投げが、いつ、どのようにして起こるかは解明されていません。
富山湾のホタルイカの漁獲量は、新月ないし満月のときに多いことが確認されています。
身投げのタイミングも同じではないかとも言われていますが、やはり因果関係は明らかになっていません。
幻想的な光景に出会えるかどうかは、運次第であり、気長に待つしかないのです。
夜明け前、観光遊覧船に乗り、沖に仕掛けられた定置網にかかり、揚げられる網のなかで光るホタルイカの姿を目にすることはできます。
ただし光に囲まれて、自然との一体感を味わうことができるのは、やはり身投げの現場でしょう。
5.ゆったりとした旅が幸運を招く
芥川賞を受賞した宮本輝の小説「蛍川」は、富山を舞台とし、無数の蛍が舞うシーンで結末を迎えます。
そして同じく宮本輝の近著「田園発 港行き自転車」では、富山湾東部の地域で主要な舞台として描かれています。
タイトルに示されるように、この地域をサイクリングする人々が出てきます。
海沿いの道路は起伏が少なく、暑くなる前の春であれば、サイクリングにはもってこいです。
天候が良ければ、富山湾に西に能登半島を望むことができます。
海の反対側には、万年雪を抱く三千メートル級の立山連峰が屏風のようにそびえ立っています。
例えば、宮本作品を携えてサイクリングしながら、あるいは遊歩しながらゆっくりとこの地を楽しめば、幸運に恵まれる確率も高くなるはずです。
定年後のシニアにとって、待ちがいのある唯一無比の時間
美しい夜景やイルミネーションは多数存在しますが、自然の幻想的な光を見ることのできる機会は限られます。
そして、光のなかに自身の身を置き、実際に光に触れることができるという点で、ホタルイカの身投げに遭遇することは唯一無比の時間です。
見た目の美しさとともに、自然の幽玄さがあります。
じっくりと待つ価値があります。