定年後サラリーマンの居場所はどこ?

最終更新日:2018年3月28日

定年後サラリーマンの居場所は、どこか?

私も40年近くサラリーマンをやってきました。ついこの間までは、毎朝決まった時間に自宅を出て、通勤電車に乗り、会社に行けば、そのまま自分のデスクへ。そこには電話やネットに繋がったパソコンもあり、近くには慣れ親しんだ同僚もいました。なんてことはないその日に気になった出来事の世間話の相手や、夜の飲食の相手も色々いました。暇つぶしには困らない居場所だったんです。

もちろん、毎日やらなくてはならない仕事があり、売上目標もある。会社の業績は長年下降し、復活の目処は無さそう。しかし、まだまだ倒産はしそうにない。みんなで一緒に働いていれば、会社の外の環境がどんなに厳しくとも、やり過ごせる、何とも言えないぬるま湯のような場所でした。

しかし、定年になった途端、その居場所は消え去りました。馴染みの同僚や会社のビル、周辺の飲食店や書店などなど、最早無関係です。この居場所が無くなったストレスは、徐々にやってきます。心の空白を埋めるため、ある人は酒浸りになり、ある人は一日中家の中でゴロゴロして、TV漬け。三度三度の飯を要求し、自宅の居間を一日中占領し、家事は何も手伝わない。これでは奥さんのストレスはうなぎのぼり、敵もだんだん口やかましくなり、外出して欲しいと言い出します。家の中の安住の地から追い立てられるのです。

結局、定年後自分はどこでどのように過ごすのか、できるだけ早めに考えて、セカンドライフの自分の居場所を探しておくことが大切です。改正高年齢者雇用安定法が出来、名目上は再雇用制度等で63歳か 65歳までは仕事が出来るようになってきています。ただ、制度はあっても希望する人が自分の望む形で再雇用してもらえるかどうか?各企業の事情により、対応は異なります。私の見聞している限りでは、再雇用の待遇に不満だったり、若い人たちから突き上げられたりで、定年前のような充実した会社生活は戻ってきません。給料も半減します。それに再雇用されても雇用期間が満了すれば、遅かれ早かれ居場所を失うのです。50代も半ばを過ぎたら、定年後自分はどこでどのように過ごすのか、よくよく考えておく必要があるのです。

例えば定年後シニアの居場所として図書館もあります。しかし、閲覧室で朝から長時間居眠りをしている人も目立ちます。何かを調べる目的をもって利用するなら良いのですが、図書館を仮眠所にするのははた迷惑なだけです。自分の活力も失われてしまいます。

定年後サラリーマンの居場所は地域活動?

自宅以外の自分の居場所をつくることを考えましょう。再雇用でも新たな仕事でも、いわゆる職業が見つかれば取りあえずは居場所ができます。お金も自己満足も多少は得られます。

もし仕事が見つからなければ、何か人の役に立つことができる居場所を探したいですね。人に貢献できる場所を探すには、市区町村の社会福祉協議会でボランティアグループについて聞いてみるのがいいでしょう。また市役所などに行くと掲示板にボランティア関係の情報が張り出されています。地域のフリーぺーパーの募集告知欄も注目です。ネットでNPO法人を様々検索してみるとボランティアグループの紹介がされています。

しかし、定年後に地域を自分の居場所にするのには、相当な覚悟がいるのも事実です。地域活動には、定年後のサラリーマンの想像を超える大変さがあるのです。地域活動は、仇やかなものではありまえん。そこでは、住民同士のむき出しのエゴがぶつかり合います。また、強烈なボスが必ずいます。サラリーマン社会のような階層が厳然としてある上に、会社のような給料をもらうためというわかりやすい関係ではありません。

地域活動の場合、逃げ場がありません。その地域独自のルールや複雑な人間関係が立ちはだかります。しかも会社と違い、就業規則も研修もないのです。あの人は有名企業の部長だったらしいけど、自分じゃ何にもできないのよね。何様か知らないけど、偉そうで、命令されてるみたい、などなど、あっという間に厳しい評価が下され、相手にしてもらえなくなってしまいます。

思わぬ精神的ストレスに押し潰されてしまう定年後サラリーマンガ多いのです。地域活動を本当に自分の居場所にしようとするなら、最初の何年かは、40年前の気持ちに戻って、新入社員の気持ちで、なんでも言われた通りに動くことです。まずは毎日の挨拶をきちんとすることから始めましょう。。

定年後サラリーマン尾最後の砦!?自宅の居場所とは?

自宅を居場所にするには、自分だけの部屋、書斎など、とにかく自分が一人で過ごせる個室、部屋があることが必須です。お奥さんから干渉されるところでは、役に立ちません。誰に遠慮も無く、本当に自分の好きなことをして過ごせる場所の確保が生命線です。子どもが独立し、物置代わりに使われている部屋があったら、そこを自分の部屋にしましょう。狭くてもよいのです。そこで食事をすることさえも忘れるような何かに打ち込むことです。その何かは自分で探さなくてはなりません。他人基準のものではなく、あくまでも自分基準で選ぶことです。かけがえのない自分の時間を精一杯、楽しみましょう。やっと、自由の身になったのですから。